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2012/09/22

ワールドプロレスリングクラシックス #233「1988年名勝負特集」

放送時間〔23:00~0:00:テレ朝チャンネル〕

新日本プロレスの1988年=昭和63年の名勝負集。
とは言うものの、この標題は「例のアレ」を放送するための大義名分と思われます。
例のアレとは「1988.4.22沖縄/奥武山体育館大会」のアレ。
猪木・藤波組vsM斉藤・ビッグバンベイダー組のメイン戦後に勃発した、昭和プロレス最後の大事件”飛龍革命”です。
皇帝戦士ベイダーの暴走により反則決着になったタッグマッチ。
大らかな沖縄のファンは、いちおうの「延長コール」はしたもののド迫力ファイトに満足した模様。
しかし、この時点でドラゴン藤波には沸々としたマグマが…。
「また来週!」と終了するはずのTV中継も、今回はなぜか実録タッチで会場裏までの長回しを継続。
そして門番・クロネコがフリーパスを発行し、通常なら出入り禁止の控え室にTVクルー始めマスコミ連中がなだれ込みます。
ベイダー軍に圧倒された挙句の不透明決着で気まずい雰囲気の正規軍控え室。
およそ90秒続いた沈黙は、ドラゴン藤波の「※△■…でした!(おそらく「スミマセンでした」)」の挨拶で破られます。
苦境の中でも美しき師弟関係と思いきや、ここからドラゴン藤波が堰を切ったように自らの待遇への不満を爆発させます。
藤波(以下D):ベイダーと※■◇○qwe×
猪木:え?
D:ベイダーと次*※■◇○qw、
D:今日僕、何もやってないっす。もういい加減○×■☆…、
D:※×◆○qうぇrt…、自分の思う方法でやります。お願いします。
D:ハッキリ言って※◆…×○qあsd…。
D:■○と大阪と2連戦無理ですハッキリ言って。俺、自分が今日※◆…×○qうぇrt…。
D:俺らは何なんですか、俺らは!
(やや沈黙)
猪木:本気かい?
D:本気です、本気です!
猪木:命かけるんだぞお前、勝負なんだよお前…。
D:もう何年つづ※■◇○q?!何年これが!
猪木:だったらブチ破れよ!、なぁんでオレにやらせんだ、お前。
D:じゃあ、やらせてください。○△を。いいですか、やりますよ。大阪を!
猪木:オレは前から言ってる。遠慮なんかする事はねえって。
猪木:リングの上が闘いなんだからよぉ、先輩も後輩もねぇ!!
猪木:遠慮されたら困る、なんで遠慮すんだお前。
D:遠慮して※◆□qうぇ
D:これが流れじゃないですか。これが新日本プロレスの。えぇそうじゃないですか?
猪木:じゃあ、力でやれよ、力で!!
D:やりますよ。
猪木:あっ??
猪木:あぁ?やれるのかホントにお前!
D:やりますよ!

ここで猪木10に対して藤波100の戦力不均衡ビンタ合戦が勃発…。
(ビンタ合戦後)
D:※■◇○qwe×※×?□★あsd…(完全に聞き取り不能)
猪木:あぁっ?
D:えぇ?!
猪木:イケるかい?え?

プロレス史上最悪の滑舌を誇るドラゴンと、人の話を全く聞かない、聞いたとしても都合の悪い事はバッサリ脳内カットする猪木による、何となく噛み合っちゃってるガチンコ問答。
そしてこの後、ドラゴン藤波による伝説のハサミ芸が爆発します。
(前髪をちょこっとカットしながら)
D:やりますよ。
猪木:待て待て、、、待て。
D:やりますよ、※▲z□#
猪木:おうっし。。。
(カット終了後)
D:このままならお客さん※▲□?◆…
D:お客さんちっとも※◆□&…これ
D:俺負けても平気ですよ、負けても※○%▲+…やるんだったら
猪木:ヤレやそんなら
D:やります
猪木:ああ
D:※□&%●(完全に聞き取り不能)
猪木:オーケイ!、俺は何も言わんぞもう。
猪木:ヤレそのかわり。
D:やります。
猪木:よぅし。
D:大阪で俺進退賭けます。※□&▲…
猪木:何だっていいや。何だって言ってこいや。遠慮することはねぇよ。
D:(着替えを整理しながら)もういいっす。

正味5分、飛竜革命の議事録はこんな感じ。
国会中継でおなじみの衆議院速記士だったらどんな文字起こしをするのか、ちょっと興味があります。
革命勃発当時私は高校一年生。
「やれんのか、オイ」→ビンタ、という馬鹿ムーブで友達とじゃれ合ってたことを思い出します。

テレビ朝日「アメトーーク」におけるプロレス芸人回ですっかりメジャーになった飛竜革命。完パケ版を見たのはこれが初めてかも知れません。
永遠のプロレス名場面として、世紀をまたいで語り継いでいくべき事を再認識する貴重なアーカイブでした。