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2013/06/29

WWE PPVスペシャル WWEペイバック2013

録画した日〔2013/6/28:スカチャン4〕

CMパンクのホームタウン・イリノイ州シカゴで行われた新設PPV大会。
タイトル「Pay back=報復」のとおり、いろんな因縁抗争のリターンマッチが中心となります。
救急車の屋根の上で勝利の咆哮を上げるジョンシナ。
「地獄の3本勝負」と銘打たれたライバックとのWWE王座戦を2-1で制して、前回PPVの両者病院送りから続く因縁抗争にケリをつけました。
相手を救急車に乗せたほうが勝ちという3本目の救急車マッチ。
王者シナによる巨漢ライバックのエスコート方法は、必殺技”AA”でブン投げて屋根を貫通させるという超ド派手なものでした。
いかにもWWEらしい決着。初心者向けPR映像に使われそうなアホバカ系の名シーンといえるでしょう。
なんだかアホバカ系ムーブにこだわってるようなこの3本勝負。
1本目のランバージャックマッチでは、場外でゴタゴタしてるライバック&ランバージャック30人にシナが空中殺法プランチャーを敢行しました。
この王者捨て身の荒業に、直撃した人もそうでない人も皆んな律儀に大コケ芸で答えます。
ちなみにランバージャック要員30人の中に、我らがヨシ・タツ(Yoshi Tatsu)の姿を発見。いつぞやのロイヤルランブル以来となる久々のPPV参戦となりました。
古巣の新日は超満員札止め連発の絶好調ロード驀進中ですが、それに負けずに本場の1軍選手として踏ん張り続けてほしいものです。
レッスルマニア後に勇躍ヒールターン、WWEの大正義・シナと2度に渡ってPPV戦をこなしたライバック。しかしさすがに3度目はないでしょう。
では次は誰か?
復帰したCMパンクのみならず、ずっと中途半端な毒蛇オートン、今回第0試合に冷遇されたシェイマス等々、空いてる選手は山ほどいるはず。
出し惜しみのない新展開に期待しましょう。

①IC王座戦:ウェイドバレットvsミズvsゴリ押しアクセル
ミズに4の字固めを掛けられているバレットをカバーするという、トリプルスレッド戦ならではのアイディア戦法でアクセルが親子2代のIC戴冠。
なお、トリプルHとの因縁も細々と続きそうな気配です。

②ディーバ王座戦:ケイトリンvsAJリー
ケイトリンの隠れファンを名乗る”なりすましメール”から勃発した女の闘い。
メール配信元のAJリーが「ブラックウィドウ」とか言う猪木イズム溢れる必殺技でディーバ王座を強奪しました。

③US王座戦:シールドの薄毛vsケイン
薄毛とケインが「他の2人」を呼ばずに頑張った結果、大したヤマ場もないまま終わってしまった一騎打ち。
薄毛がリングアウト勝ちで王座防衛に成功しました。

④世界王座戦:ドルフジグラーvsアルベルト・デル・リオ
「Let's Go ジグラー」連呼の異常な会場人気に戸惑ったのか、脳震盪っぽい症状再発のジグラーが無念の敗戦。
ジグラーのベビーターン、AJリーの寝返りの予感が仄かに香る王座陥落劇でした。

⑤Y2JジェリコvsCMパンク
シカゴっ子にとってのメイン戦は、地元の英雄がGTS2連発で2ヶ月ぶりの試合を勝利で飾りました。
今日は悪徳マネ・ポールヘイマンと微妙に距離を置いていたパンク。これはシカゴ限定なのか今後の伏線なのか気になるところです。

⑥タッグ王座戦:シールドの残り2人vsオートン&ブライアン
US王座戦同様、乱入もなく普通に試合をして普通に勝っちゃったシールド。
結果2タコとなったケイン、ブライアン、オートンは3対3抗争から脱落、新しい3人組を見つけないといけません。

WWEスマックダウン #721

録画した日〔2013/6/24:JSPORTS2〕

PPV「ペイバック」へ向けて最後の仕込みとなるグリーンズボロ大会。
シールドの3人が持つベルト(世界タッグ&US王座)に挑戦するケイン、ブライアン、オートンがギクシャクしながらも6人タッグ戦に臨みました。
PPVではオートンとのタッグで王座に挑戦するブライアン。
もう勝った気になってケインへ「ヘル・ノー」解散をブチ上げると、ケインは怒りのチョークスラムをブライアンに仕掛けようとします。
そんな一触即発のリングにオートンが緊急乱入。
取りあえず今日のメイン戦だけはちゃんとやれ、と仲間割れ寸前の2人をたしなめました。
盤石のシールドと崩壊寸前の3人という構図となったメイン戦。
しかしいざ試合が始まるとブライアンを中心に見事な連携プレーが炸裂、シールドに6人タッグでの初黒星を付ける猛デモを披露しました。

目玉は地元で復帰(と言っても2ヶ月ちょっと振り)のCMパンクぐらいか?。
あんまり食指をソソられない次回PPVですが、こんな時に不意打ちで超展開が勃発するのもWWEクオリティ。
途中で居眠りしないように3時間見届けようと思います。

<メモ>
  • 右傾化のスワガー、怪我からの復帰にけっこう時間が掛かる模様
  • 地元開催PPVで復帰のCMパンク、煽りプロモはややベビー寄り
  • ヒーススレイターがグレートカリからどうでもいい金星を挙げる

2013/06/25

タイガーマスク #63「めりけんジョー」

録画した日〔2013/6/14:TOKYOMX〕

もはや形骸化の感もある日プロ・シルバーリーグ。
東北&北陸ツアー(今回は巡業先未公表)が続いているようですが、目下のトピックは伊達タイガーの覆面タイトルを狙う強豪の動向となります。
試合前の正規軍控え室で未知の覆面レスラー談義に花を咲かせるBI砲。
どうやら挑戦者候補はブラックパンサーとイーグルの2選手に絞られた模様です。
まあ、日プロ本流を突き進むBI砲にしてみりゃ、どっちの覆面野郎だろうと知ったこっちゃない、高みの見物の野次馬ネタに過ぎないのでしょう。
ちなみに馬場さん情報によると、候補の1人であるイーグルは「人間発電所サンマルチノの豪快さ」と「(エドワード)カーペンティアの魔力」を併せ持つ凄玉だとの事。
そんな見えない敵(およびぺちゃくちゃウザいBI砲)に焦れ気味の伊達タイガーですが「相手が強いほどファイトの燃やし甲斐がある」と頼もしい爆勝宣言をブチ上げました。
伊達タイガーの爆勝宣言はもちろん虚勢。本当は不安と焦燥に駆られています。
馬場さんはそんなナイーブな愛弟子の王者ゆえの苦しみを看破。
かたや「さすがはタイガー、ビクともしないな」と思慮の欠片もない猪木は、「君は待つことの辛さを知らん」といい年して馬場さんから説教を食らってしまいました。
心ここにあらずの状態で雑魚レスラー・デーモンとの一騎討ちに臨んだ伊達タイガー。
プロレスの芸術品・ジャーマンスープレックスで勝利を収めましたが、その闘いぶりは終始精彩を欠いたものでした。
ただ、当時の日プロは年間200近くの興行を打っていたはず。冴えない日が1日や2日あっても致し方ないところですが…。
しかしこの日の客席には、そんな伊達タイガーに「遠慮しながらやるブレーンバスターなんぞ面白くない」「張り子の虎」「我慢会を見にきたんじゃない」と辛辣な暴言を浴びせる酔っぱらいヤジ将軍がいました。
このKYジジイに他のお客さんはドン引き。
第2次UWFのようなお客さん同士がヤジで対話する観戦文化は確立されていなかったようです。
ただ、このジジイが放ったヤジは妙に玄人目線でポイントを付いてる、レスラーにとっては聞き捨てならないものでした。
そうでなくても真面目でナイーブな伊達タイガー。
気になり出したら止まらなくなって、帰路に着くジジイへのストーキングを開始します。
地元の飲み屋でコンタクトに成功した素顔の伊達タイガー。あくまで1人のタイガーマスクファンとして発言の深層を探りました。
そしてもちろんこのジジイこそ今回の標題である「めりけんジョー」。
プロレス黎明期のアメリカで見世物ファイターとして名を馳せた、玄人目線も至極当然の荒くれジジイということになります。
ジョーがアメリカで繰り広げた闘いは雪中デスマッチやら業火デスマッチやら多種多様。当然リングなどは無く、大自然や街角が舞台となります。
商店街、キャンプ場から浅草花やしきまでも戦場とするインディ団体・DDTの「路上プロレス」プロトタイプと位置付けられるでしょうか。
そんなハードコア戦士・ジョーのポリシーは「見物客あってのプロレスにサービス精神があってなぜ悪い」というもの。
ガチヤオ論争に疲弊する現代のファンにとっては福音の如き名言です。
更に「真剣勝負こそサービス精神」とその理論を昇華させ、悩める伊達タイガーに大きな気づきを与えてくれました。
ジョーの熱きスピリチュアルメッセージに元気100倍の伊達タイガー。
そこに出現した体長5mはあろうかという超巨大ヒグマに対し、待ってましたとばかりノリノリで路上プロレスを仕掛けます。
結果はもちろん、凶獣を華麗なトリックプレーで谷底へ叩き落とした伊達タイガーの完勝。
つい数時間前はヤジ将軍だったジョーから「いい試合だった」とハードコアなお墨付きをもらいました。
家までヤジ将軍を追いかけ、じっくり一晩を費やし自らのシンパに変貌させた伊達タイガー。
ヤジ将軍=クレーマーと置き換えると、サラリーマンの私にもその芸当の凄まじさが良く分かります。
悪く言えばワーカホリックの伊達タイガー。しかし、行動をした人間だけが手にできるモノがあるのも世の真理ではないでしょうか。

2013/06/23

プロレスクラシック(52)'82世界最強タッグ決定リーグ戦PART3 夢の対決

録画した日〔2012/12/4:日テレG+〕

最強タッグ恒例の「夢の対決」シングル4試合(昭和57年12月7日:福岡国際センター)とオマケ2試合の計6試合を放送。
オマケの2試合はなぜか全日の若きJr戦士・大仁田厚の試合でした。
親友ハンセンと結成した超ミラクルパワーコンビで暮れの祭典を席巻するブルーザー・ブロディ。
「ブロディ革命」を成就して全日のトップ外国人レスラーとなった超獣は、肉体面、ビジネス面いずれも最高のコンディションです。
そのブロディの生贄となってしまうのか、ウエスタンの香りを振り撒いて(By倉持アナ)超満員の福岡国際センターに勇姿を現した荒馬・テリーファンク。
2年前の昭和55年に「ヒザが悪いんで3年後に引退する」なんて言っちゃったもんだから、この昭和57年がいちおう最後の最強タッグ参戦となります。
劣勢が予想されたテリーは特技でもある耳からの出血を機にシフトチェンジ。
ローブロー、テーブル攻撃、噛み付きといったヒールモードで超獣と互角以上に渡り合います。
大ボラ解説者・田鶴浜さんの決めゼリフ「パンクラチオンですな」も飛び出したテキサスブロンコと超獣のブルファイト。
しかしそんな熱狂のリングサイドにテンガロンハットの大男が…。
ブロディ劣勢に居ても立ってもいられない不沈艦ハンセン。前年の最強タッグ優勝戦(蔵前国技館ファンクスvsブロディ&スヌーカ)の悪夢が蘇る乱入劇です。
なお「ハンセンですよ」の東スポ山田さんは今回の福岡決戦には帯同せず。
その代わりにゴング竹内さんが「ハンセンが出てきますよ!」と厳粛な儀式を遂行しました。
最後はもちろんドリーや鶴田(この後ハンセンと一騎打ち)も入り乱れての大乱闘。
ハードコア錯乱ムーブ全開のテリーは、場外からパイプ椅子を5個も6個もリングに投げ入れます。
まあ、このパイプ椅子でドリーがブッ叩かれちゃうんですが、いずれにせよテキサスブロンコ・テリーの芸域の広さが光った壮絶大流血マッチでした。

大乱闘の余韻が残るまま開戦したアマリロ同期生による涙のしょっぱい味付けマッチ。オシャレなプロレスTシャツを着たままのハンセンに、若大将・鶴田が猛然と襲いかかります。
大ボラアナ・倉持さんの言うところ、これが「事実上の初対決」だった両雄。
この日は両リン決着でしたが、7年後の大田区体育館ではプロレス史に残る三冠統一マッチを繰り広げることとなります。

忘れちゃいけないグレートテキサン・ドリーファンクJrは、超破壊仮面・スーパーデストロイヤー(正体=スコット・アーウィン)とお気楽なノーテーママッチをこなしました。
ちなみに超破壊仮面の最強タッグパートナーはまだら狼・上田馬之助で成績はもちろん全敗=勝ち点0。
清々しいほどの白星配給係です。

この福岡大会のマッチメイクで最も「夢の対決」度数が高かったのが、美獣・ハーリーレイスと南海の黒豹・リッキースティムボートの顔合せでしょう。
レフェリーも豪華に鉄人・ルーテーズという、NWA世界王者の三世代パック。
当時WWA、ミズーリ州、PWFの三冠王だったレイスが貫禄の勝利を収めました。

歴戦の強豪を差し置き、なぜか最強タッグ戦線をまたいで来た大仁田厚。
25歳になったばかりの11.4後楽園ホール大会で、チャボ・ゲレロ1世とのNWAインターJr王者決定戦に臨みます。
なお、後の邪道に与えられた当時のキャッチフレーズは”炎の稲妻=サンダーファイヤー”でした。
大仁田伝説の原点とも言われるこの試合。
潔く敗北を認めた(かに見えた)チャボがブッ放したトロフィー攻撃は、当時小学4年生だった私にとってトラウマ級のグロシーンでした。
しかし30年後に見ると大仁田の渾身の顔芸に思わずニヤニヤ。大仁田ともども、すっかり汚い大人になっちまったもんです…。
大仁田がチャボの凶行で負った代償は甚大なもの。
左腕は23針縫う重傷で、復帰が叶ったのは1ヶ月後の蔵前国技館・リッキー戦でした。
結果は健闘の20分フルタイムドローでしたが、ややショッパかった大仁田はちょっと浮かない表情です。
10年後には有刺鉄線で全身ギザギザにされても巡業を続ける事となる涙のカリスマ。左腕の白いバンテージは説得力=0の邪道流アクセサリーと言ったところでしょうか。

そんな大仁田案件はともかく、昭和50年代後半の世界最強タッグが放つワクワク感は尋常でないレベル。
夢の対決に微妙に漂う「それじゃない」感も今となってはいい思い出です。
57年のメンバーならブロディvsレイス、テリーvsリッキーあたりがファン垂涎のカードだったでしょうか。
良くも悪くも内製化、パッケージ化を極めた現代プロレスでは絶対に生み出せないクオリティ。
今を嘆くのではなく、別ジャンルと割り切って30年前のガイジン天国に身を委ねるのが正しい楽しみ方なのかもしれません。

NHKアーカイブス「サッカーにかける男たち 〜Jリーグ誕生から20年〜」

録画した日〔2013/5/5:NHK総合〕

平成5年5月14日=Jリーグ開幕戦の前日に放送されたNHKスペシャル。
Jリーグ20周年に合わせた再放送となります。
歴史的スタートアップ直前にNHKが仕掛けた煽り番組。
登場する「男たち」は、カズ、ジーコ、リネカー、加藤久、川淵チェアマンの5人。いろんな意味でJリーグ誕生のドラマを象徴するメンバーです。
品川ナンバーのブラックポルシェで颯爽とよみうりランド練習場に現れたニューヒーロー・カズ=三浦知良(当時26歳)。
あっという間にイケイケのヴェルディギャル&ちびっ子連中に囲まれてしまいます。
初代MVP、キング襲名、翌年のセリエA参戦など、その後の活躍と影響力は説明不要。
しかしそれから20年、カズが下部リーグの1選手として、あの頃以上にファンから崇められ現役を続行しているとは誰一人想像できなかったでしょう(その「下部リーグ」にヴェルディがいる事も含めて…)。
Jリーグ開幕期には94年アメリカW杯のアジア1次予選も行われていました。
今思えば、W杯前年5月の開幕は「W杯とは」「代表とは」「アジアとは」をふまえながら国内プロリーグのポジション付けを啓蒙できる絶妙なタイミングだったと言えるのではないでしょうか。

Jリーグ最大の功労者である神様ジーコ。
考えれば考えるほど「なんであの時期に、しかも鹿島に来てくれたんだろう」というミラクル感がいっぱいです。
このジーコ招聘に始まって、専用スタジアムの落成、盟主としての無双っぷり等々、地方の非ビッグクラブ・アントラーズが初期Jリーグで果たしたシンボルとしての役割は絶大なものでした。

”フラグ”という概念がまだ浸透していなかった当時「W杯得点王」「年俸3億円」「イエローカードすら貰ったことがない英国紳士」といった看板を引っさげて名古屋グランパスに降臨したガリー・リネカー。
もちろんこのNHKスペシャルはその後の「黒歴史」など知らずに制作されたもの。
リネカーに限っては、時代が悪かったと割り切って考えるしかありません。
年金リーグとも揶揄された黎明期のJリーグ。
リネカーを獲った名古屋にも世界各国から売り込みリストが届いていたようです。
ざっと見ただけでも「ドゥンガ」「ストイコビッチ」の後のJリーガーから「ジャン・ティガナ」「トニーニョ・セレーゾ」「マリオ・ケンペス」といったロートルまで玉石混交の錚々たるメンツ。
この紙っペラの扱い一つでJリーグ、ひいては日本サッカーの歴史が変わっていたかと思うと胸が熱くなります。

お宝映像連発のアーカイブをNHKスタジオで見ていたのが、開幕戦の実況アナ・山本浩とJリーグカレーの始祖・ラモス瑠偉でした。
このお二人のような、過去・現在・未来を語る資格を持つ前向きな「重鎮」キャラが確立されたのもJリーグ20年の成果物なのでしょう。
20年後のJリーグ40年企画で、川平慈英がこの席に座っていることを期待します。
J開幕当時の私は大学3年生。東京のあちこちでパンフやらグッズやらの販促品がバラまかれていた記憶があります。
あれから20年、一番伸びたのは選手=育成でしょうか。
代表選手リストに(インテル)や(マンU)といった名称が入ってくるとはまさしく隔世の感です。
不況やら多様化やらを乗り越えて程よく安定しているJリーグ。
決して高度安定とは言えないのでしょうが、フリューゲルスみたいな事を起こさない様に今後も堅実路線で進むのでしょう。
ただ私としては、ヒールポジションの金満ビッグクラブが登場してほしいのですが…。