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2015/02/14

WWEロウ #1132

録画した日〔2015/2/12:JSPORTS3〕

大寒波で中止となった#1131を受けてのデンバー大会。
前回スマックダウンでトリプルHがブチ上げた「重大発表」の帰趨に注目が集まります。
PPV「ロイヤルランブル」におけるクソブックで絶賛炎上中のWWE。
状況回避に大掛かりなテコ入れは不可避と推察されることから、あおりを食らう見込みが高いバックヤード1.5軍中堅連中は戦々恐々の面持ちです。
そんな中堅連中のみならず我々WWEファンも痛みを伴う改革を覚悟(というか期待)していた今回のRAW。
しかしトリプルHが投じた「重大発表」は予想のナナメ上を行くクソの上塗り。腹の底から「どうすんだこれ?」と呻いてしまうレベルの体たらくでした。
迷走COOのRoad To Wrestle Mania修正プランは以下のとおり。
  • ダニエルブライアンとセスロリンズが一騎打ち
  • その勝者が次回PPVでロマンレインズと一騎打ち
  • さらにその勝者がレッスルマニアでブロックレスナーとWWE王座戦
ザ・ロックが乱入した今年のロイヤルランブルを実質無効とした上で、昨年ブライアンがケガ離脱で行使できなかった再戦権を考慮、かつ子飼いのセスロリンズも絡ませるという超法規的措置となっています。
そしてメイン戦で当然のごとく勝ち上がった一枚看板ダニエルブライアン。次回PPVでロマンレインズとの一騎打ちに臨みます。
ブライアンは去年もこんな感じでRoad To Wrestle Maniaのテコ入れに貢献してたような…。「だったら最初から」とトリプルHに声を大にして訴えたい気持ちです。
そしてもはや地の果てまでもお気の毒なロマンレインズ。1年間体を張った結果がこれじゃ目も当てられません。
大勢に流され祭典に辿り着くことすらできないハメなのか?、ロイヤルランブルの権威維持の意味でもどうにか救済をしてほしいところです。
救いようのないクソブックの唯一の救いはトリプルH夫妻とセスロリンズの間で毒蛇オートンの復帰暗示スキットが展開された事。ストーリーが浮いたロリンズと一騎打ち路線が組まれるのでしょうか。
それなりにコマが揃ってるのにそれらを全く活かせない現状。焼け石に水ムード満々ですがオートンの復帰が待ち切れません。

<メモ>
  • アンブローズがIC王者・バッドニュースバレットに宣戦布告
  • よりによってアセンションがきっかけでローデス兄弟がまたまた仲間割れ
  • ミズとミズドゥ、仲間割れアングルを本格進行
  • JBLが「今日はテンリュウの誕生日」と脈絡のないお祝いコメントを発令

2015/02/13

プロレスクラシック(108) インタータッグ2連戦&輪島vsシン遺恨戦

録画した日〔2013/11/4:日テレG+〕

昭和62年新春ジャイアントシリーズからの7試合。
黄金の左・輪島大士とインドの狂虎・TJシンの因縁抗争が中心です。
1.24横浜文化体育館。宿敵・シンとの一騎打ちを前にオンボロ水飲み器で喉を潤す輪島大士。
闘いの土俵は変われど輪島にとってこれは神聖な「力水」の儀式。その背中から大横綱としての矜恃が伝わってきます。
一方のシンは紙切れをカジって狂乱の入場。
これは狂虎流の神聖な儀式なのか?、いずれにせよ前年11月から続く「輪島特需」に悪のテンションは最高潮です。
電車道でガンガン攻め込むこの日の輪島でしたが、ア・シークとかいうザ・シークの紛い物だか小林製薬の売り物だかよく分からん雑魚セコンドが無法乱入。
若林アナによる「とことんやれ輪島!」のゲキも虚しく、試合は輪島の不本意な反則勝ちに終わりました。
終了後のお楽しみ大乱闘ではア・シークにきれいなブレーンバスターを決めた輪島。
前哨戦の1.2後楽園大会では同じア・シークに高角度バックドロップを成功させるなど、プロレス技のレパートリーも順調に増えているようです。

その1.2後楽園で輪島がタッグを組んだのは元幕内力士の石川敬士。名門・花籠部屋で同じ釜の飯を食った師弟コンビです。
石川にしてみれば雲の上の大横綱とまさかの邂逅。
上下関係を超えプロレスを通じてお互いをリスペクトし合う2人は、リングの外でも大の仲良しだったそうです。
試合はそんな盟友・石川が凶器攻撃で大流血というハードな展開に。
これで冷静さを失った輪島がジョー樋口をぶん投げるとジョーはマッハの速さで反則裁定。
この熱いファイトに解説の東スポ山田さんは「私はこれでいいと思いますよ」とテキトー見解を示しましたが、輪島にとってはデビュー以来初めての黒星となってしまいました。

2.5札幌でのリマッチを控えた1.31八戸大会では、金銭感覚のユルさジャブジャブさで双璧を張る阿修羅原との夢のマッチアップが実現。
お金の話はともかくとして、この一戦は横綱対ラグビー世界選抜という屈指のスポーツエリート対決でもあります。
札幌決戦まで待てない輪島はシンのクビ狙いで大暴れの反則負け。
これを受けた東スポ山田さんは「ストップを掛けることはないです。今日のレフェリーはどうかしてますよ!」とインチキ暴論を展開しました。
ちなみにこの日のレフェリーはジョー樋口じゃなくジャパンプロのタイガー服部。
東スポ山田さんはどうやら外様に厳しいタイプのようです。

2.3夕張大会は当地における初のプロレス興行。
馬場さんの粋な計らいなのか、全日のトップスター・天龍(最高位:西前頭筆頭)との華やかな大相撲タッグが実現しました。
プロレスラーとして初めての「巡業」に挑んだ輪島。
お客さんとしてはテレビで見てた大横綱を間近で見られる嬉しいチャンス。きっと行く先々で大人気だった事でしょう。
リングではまだまだ修行の身ですが、興行面での存在感は間違いなく横綱級です。

そんなこんなで迎えた大一番・2.5札幌大会。
ヒンズー語の横断幕(製作:北海道大学プロレス研究班)も掲げられたこの日のシンは、サーベルをア・シークに預け四方の鉄柱に合掌。いつになく神妙な立ちふるまいで入場します。
リングに上がったシンはコーナーポスト下に布を敷いてお祈りの時間を要求。宗派は違えど横綱として神事に携わった経験のある輪島はこれを容認します。
もちろんその後の展開は説明不要。
大事なリマッチのゴングを前にまんまと襲撃コントの餌食となってしまいました…。
正月の後楽園に始まり1.24横浜を経て練り上げてきた因縁ストーリーは、シンが輪島に謎の白い粉をブチ撒けて1発反則負け。土俵の塩と趣を異にする白い粉に輪島は前後不覚の大悶絶となりました。
スター選手の誰もがふり掛けられたマット界の定番アイテム。なんともありがたいジェットシンからの洗礼です。

この正月シリーズの柱は長州&谷津と鶴龍コンビのインタータッグ戦線。1.24横浜と2.5札幌の2連戦が組まれました。
かれこれ1年近くベルトを持っている長州&谷津。セコンドに控えるのは後の売れっ子タレント・アニマル浜口と佐々木健介です。
倉持アナが「四天王の争い」「プロレス絵巻」と大興奮した1.24横浜決戦はリキラリアットで長州が天龍を仕留め防衛成功。
札幌と2戦セットで考える必要はあるものの、ちょっと意外な完全決着です。
若林アナによる「札幌、札幌での決意を!」の突撃に「バカやろー、負けてないよ!」とブチ切れたジャンボ。
札幌決戦が俄然楽しみとなるスキットでしたが、実況席倉持アナは「残酷なインタビュー」「答えになってないようであります」となんともつれない対応でした…。

こうして迎えた札幌決戦は大方の予想どおり1年越しのベルト移動劇で決着。
静かに喜びを噛みしめる天龍とケロッとジャンボスマイル全開の鶴田。鶴龍コンビのコントラストはもはや様式美の域でしょう。
一方、敗れた長州組は素っ気なくサバサバと退場。
それもそのはず、大将・長州はイデオロギーの違いを理由としてこの後早々に全日を離脱してしまいます。
五輪代表3人と幕内力士が繰り広げたハイレベルな「四天王の争い」はこうしてほどよくピリオドが打たれました。

大横綱の名を捨てて凶器で刺されてバンプを取って…。デビュー3ヶ月、この頃の輪島には“無我夢中”という言葉がピッタリ。
本人のスピリットはもちろんですが、ボスの馬場さんや天龍、石川らがリスペクトを持ってサポートしてくれた事もプロレスに夢中になれる大きな要素だったのでしょう。
たしかにプロレスラーとしてはパッとしなかった輪島。中学生だった私は冷たく笑いながら見てました。
しかし当時の輪島の年齢(39歳)を超えた今あらためて見ると、四十を前に新たな世界で泥にまみれるという侠気、勇気に恐れ入るばかり。
あのころに戻れたらぜひとも全力で応援したい、愛すべき大横綱です。

2015/02/12

美空ひばり圧巻! スーパーライブ大全集

録画した日〔2015/2/4:BSTBS〕

今年が27回忌となる美空ひばりのアーカイブ集。
「○○周年」など節目節目のリサイタル映像が中心です。
昭和45年に敢行したブラジルサンパウロ公演。
当時33歳日本髪姿の女王は、超満員1万人の日系人に向けて過激フレーズ連発の極道ソング「関東春雨傘」を熱唱します。
サンパウロまでのフライトは片道30時間を要したとの事。
時間=コストと考えれば移動だけの60時間は明らかに持ち出しの域。このほか当時の衛生事情や安全面を鑑みると地球の裏側へ巡業するリスクは計り知れません。
しかしそれでも「待ってるお客さんがいるから」と飛んで行っちゃうのが美空ひばりの真骨頂。
ファンのため、同胞のためなら損得かまわず体を張るその芸人魂こそ、彼女が“女王”と崇められる所以なのでしょう。
昭和51年に中野サンプラザで開催された「芸能生活30周年リサイタル」。
ちょうどこのころ身内の不祥事が続いてた我らが女王は、“正装”とも言えるボーイッシュ袴スタイルでお礼とみそぎの口上をブチ上げます。
それにしても女王の男装は絶品。
同じ昭和51年の聖地・新宿コマ公演では、粋な着流し姿で放送コード度外視の任侠ナンバー「やくざ若衆祭り唄」を貫禄たっぷりに唄い上げました。
絶品といえば、他アーティストの曲をカバーする女王もまた絶品。
昭和55年の新宿コマでは、宇多田ヒカルのお母さん=藤圭子のデビュー曲である「新宿の女」を文句あっか?とひばり節で拝借します。
また、昭和57年中野サンプラザ公演は全曲洋楽カバーで構成する新機軸。
英会話が全くできないはずなのに英詩曲唄ったらネイティブそのまんまだった、という有名な天才伝説を超満員のファンの前で実証しました。
デビュー35周年となる昭和56年。
円熟の44歳で迎えた記念リサイタルの舞台は北の丸日本武道館。ここで女王はセットリスト50曲昼夜2回公演という過酷な鉄人戦に挑みます。
前日にお母さん危篤の報を受けるという極限状態に身を置きながら、集まったファンのために渾身の100曲完走を果たした女王。
武道館のド真ん中に君臨するその姿は圧巻。まさしく絶対女王です。
最強ブルース「悲しい酒」では汗と涙でグシャグシャになりながら7分超の情念パフォーマンスを展開。
そんな名シーン続出だったこの武道館決戦は、ファン/関係者の中で美空ひばり生涯最高のステージとされているそうです。
芸能生活40年目へ到達した昭和61年。
記念リサイタルは中野サンプラザ、このほかTBS「ロッテ歌のアルバム」で“芸能生活40周年記念”と銘打たれたスタジオライブが開催されました。
スタジオを練り歩き、無国籍チューン「お祭りマンボ」をシャウトする女王。
この女王降臨に観覧席のお父つぁんおっ母さん方は笑顔満開で大喜び。「一生モノ」の体験とはこんな事を言うのでしょう。
そしてあまりにも有名な最晩年・昭和63年の東京ドーム公演。
今考えれば本人の体調はもとより、音響/演出などのノウハウがまだ無かったドームで単独ライブを敢行した事こそムチャの極み。
常に「お客さんがいるから」の観点で動く、女王の芸人魂の最終形だったのではないでしょうか。

いわゆる年配層からは今でも絶大な支持を得ている美空ひばり。
子供の頃は古い演歌の人というイメージしかありませんでしたが、歳を取ってから見ると何をやってもカッコいい凄玉ミュージシャンだったのだと気付かされます。
御用マスコミ連中集めて超豪華パーティやって的な「芸能人」としての王道を貫くスタイルもたまらない魅力。
以降、芸能界にこれができる人が出てきていない事も女王の存在が陰らない理由の一つです。
時代が良かったとかではなく、個として持つ圧倒的能力でのし上がったスーパースター。
フォロワーは数多かれど、絶対女王の座が揺らぐ事は未来永劫ないのだろうと思います。