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2013/09/20

全日本プロレス王道史(#35)

録画した日〔2013/3/30:サムライTV〕

昭和59年2月・蔵前国技館で開催された2大タイトルマッチ。
メイン戦では、ジャンボ鶴田が日本人で初めて「AWA」の世界ベルトを奪取しました。
NWAやらAWAやらビッグプロモーター馬場さんのお膳立てを何度も何度もふいにしてきた全日の善戦マン。
喜び爆発というよりもやれやれホッとした表情でプロレス大好き・徳光さんからの祝福に答えます。
なお日米関係の不文律では、直後にリマッチ失敗→対外的に何もなかった事にして王者が帰国となるのですが、ジャンボはそのハードル(3日後の大阪決戦)も見事にクリア。
3月以降はアメリカやカナダで防衛戦を繰り広げるなど、本格派の王者として世界マットに君臨する事になります。
一方、至宝AWAベルトを「海外流出」させてしまったニックボックウィンクル。
実はこの日最大の敵は眼前のジャンボではなく、日本サイドのゴリ押しで採用された「PWFルール」でした。
歴戦のダーティチャンプにとって、反則orリングアウト決着でもベルト移動というPWFルールは事実上の死刑宣告。
これは即ち馬場さんの政治力、経済力の勝利といったところなのでしょうか。
そしてこのAWA戦の特殊レギュレーションがもう一つ。
NWA・ボブガイゲル、AWA・スタンリーブラックバーン、PWF・ロードブレアースの3会長の要請で、メイン+サブのレフェリー2人制が敷かれる事になりました。
なぜだかやたらと公正を期す全米3巨頭。
しかしその人選は、メインに大ボラ系荒馬・テリーファンク、サブに脆弱系審判・ジョー樋口という危険極まりない支離滅裂なものでした。
特にメインのテリーは、フリフリブラウスに蝶ネクタイという自由奔放なド派手ファッションで登場。
ジャンボ戴冠ムードに包まれていた国技館に一抹の不安が漂います。
試合はワルツ&ジルバ理論のニックが終始組み立て役を担当。
30分超に及んだ試合時間のうち20分近くをバリエーション豊かな腕攻めに費やすという、老獪なレスリングマスターっぷりを見せてくれました。
当時50歳近くだったはずのダーティチャンプ。怪物ジャンボを縦横無尽に操る技量とスタミナは敬服に値します。
そしてやっぱりと言うか何というか、目の前で繰り広げられる大熱戦にテリーファンクのボルテージは勝手に急上昇。負けてなるものかとお得意のオーバーアクションと顔芸でガンガン試合に入り込んできます。
この日は超満員札止めとなった蔵前国技館。
その12,500人の中で一番テンションが高かったのは、一番冷静であるべきはずのこのメインレフェリーだったのではないでしょうか。
もはやどうにも止まらない破茶目茶テリーの荒馬スピリット。
試合の佳境30分過ぎにはニックとジャンボの体当たりに巻き込まれ、場外で必殺の悶絶バタ足ムーブを炸裂させます(紙テープぐるぐる巻ミノ虫ムーブはなし)。
身悶えるメインレフェリー・テリーと、それをサポートするサブレフェリー・ジョー樋口。
これをプロレス地獄絵図と呼ばずして何と呼ぶのでしょう。
テリー離脱でいつもの“ジャンボお疲れさん”ムードが漂う国技館でしたが、ここから一気にハッピーエンドの超展開が稼働。
エプロン越しに放ったジャンボ渾身のバックドロップホールドで、日本のプロレスファンが夢にまで見た勝利のゴングが響き渡りました。
マットを叩いたのは見事蘇生したテリー。ジョー樋口も何だかよく分からんチェックでサポート。とにもかくにも日本人初のAWA世界王者誕生です。
当時小学生だった私は待ちに待ったジャンボの快挙に興奮したものですが、30年後の今見るとニヤニヤが止まらない極上のテリーファンク一人舞台。
ちなみに大ボラアナ・倉持さんによると、当時歌手活動(?!)に忙しかったテリーは「2度と復帰することはない。日本のファンにそう伝えてくれ」と試合前に語っていたとか…。

蔵前決戦2週前に東京のホテルで客死したUNヘビー級王者・デビッドフォンエリック。チャンピオンベルトにはその名前が刻まれたままです。
本来なら王者デビッドに全日第3の男・天龍が挑戦するはずだったこの日のセミファイナル。
鉄の爪ポーズの「前王者」が見守る中、悲しみの王座決定戦が行われる事になりました。
なぜか日米決戦のアングルとなった王座決定戦。
日本代表は元々この日ベルトを奪取するはずだった(?)天龍。アメリカ代表はこの試合のために緊急来日した南海の黒豹・リッキースティムボートです。
「代役」リッキーは一点の曇りもない超ベビーフェース。
“お母さんが日本人”というお馴染みのエピソードもあり、ともすれば若手のホープ・天龍より会場人気は上かもしれません。
そんな2人によるギスギスもドロドロないフレッシュな一騎討ちは、デビッドへの手向けとして文句なしのマッチメークです。
クリーンファイトに終始した試合は、天龍がグランドコブラでカウントスリーを奪取。
角界から転身して8年。天龍にとってはこれが初めてのシングルベルトとなります。
インタビュアー・徳光さんによる「思い出の国技館で…」の泣かせ文句を軽くイナし、天龍は日本プロレス界のレジェンドとしての大きなステップを踏み出しました。

昭和59年(1984年)は、WWFが超人ホーガンを擁して全米侵略を開始するなど古き良きアメプロが変節していく分岐点となった年。
全日もそれに歩を合わせるかのように、夏に三沢タイガーがデビュー、年末には長州軍団の参戦と、いわゆる「らしさ」は徐々に薄れていく事となります。
鶴龍ダブル戴冠で大団円となった2.23蔵前は、これから始まる新しい時代へ一つの区切りとなった大会だと言えるでしょう。

2013/09/18

タイガーマスク #76「幻のレスラー達」

録画した日〔2013/9/13:TOKYOMX〕

伊達タイガー抹殺計画を本格稼働させた「ビッグ」「キング」「ブラック」3人の虎の穴重役レスラー。
ご丁寧にもエアメールで挑戦状を送付してきました。
レスラーとしてあり得ないレベルのナイーブさを誇る伊達タイガーは、遂に始動した幻の3大タイガーに戦々恐々。まるでこの世の果ての様に公園のベンチでガックリ肩を落とします。
全国8000万プロレスファンの最強幻想を打ち砕く情けない姿。
ここは一発「出る前に負けること考えるバカいるかよ!」と日プロの某先輩から超パワハラビンタでも食らった方が彼のためかもしれません。
伊達タイガーを恐怖のドン底に陥れた挑戦状の骨子は以下のとおり。
  • 「ビッグ」「ブラック」は伊達タイガー&ミスター不動とタッグ戦
  • 「キング」はシングルで覆面タイトルに挑戦
さすがは虎の穴の重役。3vs3の安易なワンマッチではなく、タッグとシングルの2試合に分割するという興行的な旨みを乗せた提案をしてきたと言えるでしょう。
なおこの分割プッシュ策は、時代を超えてWWEの若手ヒール3人組「シールド」に受け継がれています。
虎の穴から届いたエアメールの宛名は「Mr.Tiger Mask」。その住所は「東京都渋谷区代々木2-8-16」でした。
GoogleマップによればJR新宿駅サザンテラス改札口から徒歩数分の好立地。
ここはブラック企業・日プロの本社なのか、その幹部候補生・伊達タイガー御殿なのか…。
別件で届いたケン高岡宛てのエアメールも同住所だった事から、前者の可能性が高いと思われます。
それをふまえて少し気になるのは、一連のマッチメークが虎の穴と伊達タイガーの二者間で成立してしまったという点です。
あくまで今回は団体内自主興行(例:永田裕志の東金大会)なのか?
しかしビッグボス馬場さん(今回も登場なし)に仁義をとおした場面は見受けられず、決戦当日までにひと揉めふた揉めお家騒動が起こるかもしれません。
一方、ちゃっかりビッグマッチに名を連ねやがった新米レスラー・ミスター不動(大門大吾)は、元気のない伊達タイガーを親身にサポートします。
さっそく癒やしとチャリティ案件を求めてちびっ子ハウスを訪問した盟友2人。以外なことに大門大吾はこれが初めてのハウス参戦です。
過去2回プロレス中継で素顔を晒した事がある大門大吾。しかし、自己紹介でそれに気付いたクソガキはいませんでした…。
残念ながら知名度、認知度ゼロだった大門ですが「キザ兄ちゃん」ギミックを貫く伊達タイガーとのコントラストもあってか、あっという間にちびっ子達の人気者に。
癒やしが必要な伊達タイガーを放ったらかしてハウスのド真ん中に君臨します。
すっかり上機嫌の大門は、なんとハウス敷地内に離れの遊び部屋を勝手に増築。慣れた手つきで家1軒を基礎から造り上げていきます。
大決戦を前にした豪快すぎる気分転換はプロレスラーとして文句なし100点満点のぶっ飛びエピソード。
メソメソしっぱなしの伊達タイガーはその爪の垢を煎じて飲むべきでしょう。
こうして出来上がった離れ部屋はタッちゃん、カッちゃん、南ちゃんも羨むであろう程の超ハイクオリティ。逃亡がてら経験した幾多の職業体験が遂にここで実を結びました。
ただもっとも、こんなスキルがあるんだったらハリボテマスクなんぞ即刻廃業。腰や首を悪くしないうちにさっさと建築の道へ進むべきではないでしょうか。
3大タイガーと伊達タイガーの心理戦がフィーチャーされるはずだった今回#76。
しかし終わってみれば、大門大吾のなんともプロレスチックな豪放磊落っぷりが光るストーリーとなりました。
今後は、クマさんの愛称で親しまれた大熊元司のようなトンパチ系中堅レスラーの道もアリかも…。
いずれにせよ次回「ビッグ」「ブラック」とのタッグ戦が大きなターニングポイントとなるでしょう。

2013/09/16

猪木&藤波!新日本プロレス闘魂史(#45)

録画した日〔2013/3/30:サムライTV〕

昭和56年暮れの「第2回MSGタッグリーグ」優勝戦を中心とした3試合を放送。
この年10月にヘビー級へ転向したドラゴン藤波が、師匠猪木と新日タッグ戦線最高峰に挑みます。
12月10日大阪府立体育館。必勝を期す師弟コンビに立ちはだかったのは、スタンハンセンとディックマードックの「テキサスロングホーンズ」でした。
筋骨隆々のアメプロマッチョマンとは一線を画すナチュラルファイター2人。
如何なる理由があろうとも絶対に怒らせてはいけない、あくまでプロレスの範疇でお付き合いしたい超ド迫力の屈強タッグです。
クライマックス大阪決戦時点での星勘定は猪木&ドラゴンとハンセン&マードックが「36」で同点。大巨人アンドレ&レネグレイが「38」で既に一抜けを決めています。
つまりこの師弟コンビvsロングホーンズは決勝進出チーム決定戦。
前年覇者(パートナーはボブ・バックランド)として連覇を狙う猪木、およびヘビー級転向の成果物がほしいドラゴンにとっては、絶対に負けられない大一番となりました。
そんなピリピリムードの大阪決戦リングサイドに招かれざるデッカイお客さんが登場。優勝戦進出を決めているアンドレが、作戦参謀・レネグレイを従えて高みの見物を決め込みます。
奮発して特リンチケット買ったのに前の席に大巨人アンドレがいたら…。
ファン目線からすれば考えただけでも恐ろしい、人間山脈の合法的パワハラです。
アンドレの御前試合となった優勝戦進出マッチは、力量の劣るドラゴンを師匠猪木が徹底フォローする麗しの展開に。
デッカイお客さん・アンドレの介入もあって一旦は両者リン決着になりましたが、超過激な仕掛け人・新間寿の英断により時間無制限の延長線が決行される事となりました。
結局延長戦は猪木の頭脳プレーで師弟コンビが辛勝。アンドレ組との優勝戦へ臨みます。
なお、敗れたハンセンはこれが新日ラストファイト。
このわずか72時間後に勃発する「ハンセンですよ!」の蔵前事変をふまえて見てみると、狂犬マードックとの小さなシェイクハンドにも深いメッセージがあるような気がしてきます。

たった5分のインタバルを経て迎えた優勝戦。
髪の毛のセットで手一杯だった師弟コンビにとって、人間山脈・アンドレザジャイアントはあまりにも巨大な障壁です。
アンドレ組の攻略方法はただ一点、実力的に10枚、15枚近く劣るレネグレイを徹底攻撃することでしょう。
しかし超過激アナ・古舘さんのひとくちメモによれば、このレネグレイはかつて神様・カールゴッチを相方にWWFタッグ王座(WWWFか?)を保持していたとの事。
フランス語が喋れるだけで相方に抜擢されたというのが定説でしたが、どうやら「作戦参謀」の異名は伊達じゃないようです。
手負いの師弟コンビは、猪木がアンドレをボディスラムで投げ切るという、1日2試合目となる疲労を感じさせない大健闘ぶりを披露。 コーナーのドラゴン藤波も、1日2試合目となる疲労を感じさせない超オーバーリアクションで師匠猪木を盛り立てます。
しかし最後はアンドレの超絶パワー殺法が炸裂して師弟コンビは玉砕。フランス系凸凹コンビが暮れのビッグタイトルをゲットしました。
そして特筆すべきは「作戦参謀」レネグレイのインサイドワーク。
大巨人アンドレの歴代ベストパートナーは、誰が何と言おうとこのカナダ生まれの伊達男です。
師走の仕事納めという事もあってか、試合後に猪木とアンドレは握手でノーサイド。
もちろんドラゴン藤波も師匠に追随するのですが、まんまとアンドレのお約束ムーブ=握手でイテテ…の餌食になってしまいます。
翌年(昭和57年)からは本格的にヘビー級の荒波へ船を出すドラゴン。こんな調子で大丈夫なんでしょうか。

放送もう1試合は、昭和56年7月・後楽園ホールのサマーファイトシリーズ開幕戦。
猪木&坂口の新日黄金タッグが、アブドラ・ザ・ブッチャー&バッドニュース・アレンの「黒い恐怖軍団」と激突します。
IWGP参戦の大義名分で殴り込みをかけた黒い呪術師。この7月シリーズから新日マット本格参戦となりました。
しかし猪木との絡みは、この先も含めて燃える要素がほとんどなし。
肝心のIWGPからも蚊帳の外にされ、メインストリームに乗れないまま馬場さんの待つ全日へ出戻りする事となります。

この年の前半には佐山タイガーとタッグを組んでいた元ジュニア戦士・ドラゴン藤波。
大阪の2試合では何となく猪木まかせで引き気味に見えましたが、アンドレ、マードック、ハンセンという超大物が相手ならそれも致し方無いところでしょう。
目の前で繰り広げられるスーパーヘビー級の豪快殺法。
ドラゴンがここで妥協せず肉体的に無茶をした事が、結果的に翌年の佐山タイガーブームと長州力の大ブレイクへと繋がっていきます。
日本プロレス史の重要な起点となったドラゴンチャレンジ。
プッシュした猪木&新間の仕掛け人サイドも含め、イケイケの新日が一丸となって成し遂げたファインプレーだったと言えるでしょう。

WWEスマックダウン #733

放送時間〔12:00~13:45:JSPORTS2〕

番組オープニングで演説するのが大好きな悪のCOO・トリプルH。
今回のミネアポリス大会でも、気持ち良さそうに理不尽経営指針をブチ上げます。
ステージに並ぶレスラー連中、リング下で睨みを効かす傭兵シールド、リング上からそれら全てを見下ろすトリプルH。ここ最近、すっかりおなじみとなった構図です。
レスラー達は前回RAWのコーディローデス解雇問題で疑心暗鬼状態。リングとステージの距離は、COOとレスラーの間に生じている距離を現しているのかもしれません。
そんなシチュエーションにドヤ顔爆発のトリプルHは、苦悩するレスラー連中に公開討論の開催を提案します。
思っている事を腹を割って伝えて欲しいというコンセプトですが、ローデスの粛清を目の当たりにしたレスラーにとっては、限りなく地雷臭が漂う容易に踏み込めない討論会となりました。
何ともアヤしい討論会で発言したのは以下の5人。
  • ダミアンサンドゥ(仇敵ローデス追放を大絶賛)
  • コフィキングストン(レスラー連中の苦悩をクソ真面目に代弁)
  • 3MB・ヒーススレイター(問題外のバカ)
  • ロブヴァンダム(格上感を漂わせ貫禄のトリプルH批判)
  • ライバック(現状に不満もトリプルH寄りのスタンス)
どうにもパッとしないコフィあたりが今日の粛清対象になるかと思ったのですが、ベビー、ヒール各2人とバカ1人のいずれもお咎めは無し。
まあオチはどうあれ、こうした下らないコントが量産されるのもトリプルHのヒールターン効果。ローデスは気の毒ですが、とりあえず年内はこんな調子の理不尽路線を突っ走ってほしいものです。

<メモ>
  • AJリー、レイラ達を引き込んで「Total DIvas」への対抗軍を結成
  • 最近おとなしいスワガー&セザーロの極右タッグが、新しい黄色いマントを披露
  • 討論会に呼ばれなかったブライアンは、メインでシールドを粉砕(もちろんその後オートンに撃沈される)

ザ・ローリング・ストーンズ サム・ガールズ・ライブ・イン・テキサス 1978(Some Girls: Live in Texas 78)

録画した日〔2012/7/12:WOWOWライブ〕

昭和53年7月にフォートワース「ウィルロジャース記念センター」で開催されたアリーナ公演。
当時キャリア16年目、前月リリースの名盤「女たち」を引っさげた三十路半ばストーンズの濃厚ライブです。
このテキサス大会1週間後に35歳の誕生日を迎える御大・ミックジャガー。
お気に入りの真っ赤なピンポンパン帽子をかぶって「#1 Let It Rock」から飛んだり跳ねたり猛ハッスルムーブを炸裂させます。
ちなみに肩パットジャケの下に着込んでるのは、カギ十字に「デストロイ」とプリントされた中二病まる出しTシャツ。
ミックによると、これはジャンク屋で購入した計算ずくのユルいコーディネイトだった模樣です。
序盤戦「#3 Honky Tonk Women」では、悪友ミック&キース伝統のマイク1本芸が早くも披露されました。
会場はキャパ3000人程でストーンズにとってはテント小屋レベル。
お客さんが足元すぐ側にいる仕掛けゼロのステージでは、小細工なしのワイルドな直球勝負が効果的なのでしょう。
「#5 When The Whip Comes Down」から全米No1ソング「#7 Miss You」を経て「#11 Far Away Eyes」までの7曲は最新アルバム「女たち」からのナンバー。ミックも献身的にギターを演奏します。
過去未来のライブを見ても、新曲を7曲ぶち抜きでセットリストに載せるのは異例の事。
パンクロック勢に押されていたという昭和53年当時のストーンズにとっては「まだまだ終わらんよ」という熱い決意表明だったのかもしれません。
そんな変化に追われるストーンズの癒し系ポジションを担ったのが、永遠の下っ端・ロニーウッド。
キースと仲良くハモったり、ミックにケツを引っ叩かれたりタバコを捨てられたり、実にイキイキとステージ上を躍動します。
このツアーはボビーキーズやビリープレストンといったキャラの濃いサポート連中が不在。
入団3年目の陽気なギターマンにとって、イアンスチュワートを含めたオリジナル軍団と寝食をともにできる有意義な時間となったのではないでしょうか。
終盤突入の「#14 Happy」では、キースのボーカルをミックが強奪するお約束ムーブが勃発。
最近(と言ってもここ20年来)のキースコーナーは、お客さんのみならずフロントマン・ミックにとっても休憩タイムとなる傾向がありますが、特にこの「Happy」はキースのデタラメさとミックの出しゃばりが融合して成り立つコンビ芸なのだと思っています。
「#16 Brown Sugar」からなだれ込んだラスト「#17 Jumpin' Jack Flash」では、バケツの水を客席にブッ放す荒くれパフォーマンスで締めくくり。
ミック(当然半裸)による聖水攻撃に、ステージサイドかぶり付き席のテキサスっ子たちは狂喜乱舞です。
あっという間の90分全17曲。
サポートメンバーは盟友・イアンスチュワートら3人のみ。経費削減だったのか、彼らの拘りだったのかどうかはともかく、演奏、演出を極限までシンプルに削ぎ落としたガチンコ度数の高いステージでした。
酒池肉林ファンキーな'75-'76と産業ロック全開の'81-'82の間に位置する「'78」ツアー。
ブートでも決定版と呼べるもの(映像)が見つからず、私にとっては謎に満ち満ちた空白期間でした。
いきなり公式盤がリリースされたのはライブから33年後の2011年。「だったら早く出せよ」「まだあんだろ」とファンのヒートと妄想を煽る老獪なストーンズ商法です。

絶頂期とも円熟期ともちょっと違う1978年のストーンズ。
お約束の「Satisfaction」も「Midnight Rambler」もない、ラフでワイルドなレア映像をオフィシャルで見られるとはホントにいい時代になったもんです。
残るは1975年の”LAフォーラム”でしょうか。
特典映像、おまけグッズ等々どんな集金方法を使っても構わないんで、関係者におかれましてはさっさと放出していただければと思います。