2005年に制作された1960年代のローリングストーンズを描いたドキュメンタリー。
初代リーダー・ブライアンジョーンズにスポットが当てられています。
原本は 「The Swinging 60'S The Rolling Stones」というタイトルのDVD。しかし今回の放送では、内容の半分ほどがザックリとカットされています。
その為でしょうか、ブライアンの音楽面での天才奇才ぶりは描かれずにお馴染みの揉め事系ドキュメントに終始していました。
メインの証言者はトニーコルダー(Tony Calder)という元マネージャー。
彼曰く、ブライアンはプロデューサー・アンドリューオールダム(Andrew Loog Oldham)から様々な嫌がらせを受け、次第にバンド内の居場所を無くしていったとの事です。
グレたから居場所が無くなったのか、居場所が無いからグレたのか、このどっちが先かの真偽に答えを出せるのは鬼籍に佇むブライアンだけなのでしょう。
ブライアンが受けた理不尽イジメは「マイクをステージの端っこに置かれる(ついでに音も消されちゃう)」「ウソの集合時間を教えられる(遅刻したら置いてきぼり)」という中学生の部活レベルのものだったようです。
”ミック推し&ブライアン外し”で世界最強元祖不良ロックの礎を築いた敏腕プロデューサー。
結果的にその戦略は大正解だったのですが、もうちょっと丁寧な手法を取っても良かったのかも知れません。
なお、メイン証言者・トニーによるストーンズ評は以下のとおり。
- ブライアンジョーンズ「自分を味方にしたかったようだが、よく対立した」
- ミックジャガー「今と変わらない。覚えが早くて人を操るのが得意」
- キースリチャーズ「1対1になるとイイ奴」
- チャーリーワッツ「礼儀をわきまえたオトナ」
- ビルワイマン「口数が少なく、とにかく静かな男」
結局のところ根っからのワルが自分1人だけだったというのがブライアンのそもそもの不幸だったのではないでしょうか。
そしてブライアンネタで避けることができないのがドラッグ禍。
節分の豆まきみたいなルックスで裁判所から出てくるシーンは何度見ても強烈です。
ブライアンは、ピル→喘息の薬→もう一回ピル→コカイン→ヘロインといった感じで摂取レベルが尋常じゃなかった模様。
誰もがドラッグに手を出していた時代ですが、彼だけは明らかにヤリ過ぎだったのでしょう。
1968年11月にクマのプーさん宅を購入したブライアン。
この家がドンチャン騒ぎ用だったのかリハビリ用だったのは今となっては分かりませんが、ストーンズ脱退(追放)から3週間後でもある翌年の7月、この終の棲家で必然とも言える早逝を迎えてしまいます。
新メンバー(ミックテイラー)お披露目ライブ直前という、ストーンズにとって重要なリスタート時に起きてしまった悲劇。
しかし2日後のライブは強行され、フロントマン・ミックはかの有名なフリフリ白ドレスでハイドパーク65万人の大群衆の前に姿を現します。
お披露目から”追悼”へコンセプトを変えたハイドパーク公演。これは対世間へのイメージ戦略だったのか…。
だとすると、不良性をウリにしてたはずのバンドが突然降り掛かってきたガチの不良イメージからは逃げ出したという、何とも切ない顛末です。
現存のストーンズメンバーにとって、44年後の今年7月に行われる同地でのライブが本当の意味でのブライアン追悼になるのでしょう。
ロック史的には悲劇と破滅の「RockVictims」という括りだけで語られがちなブライアン。
しかし、60年代ストーンズのブルース部門、オシャレ部門、楽器部門を一手に担っていた真の意味でのアーティスト、ロックスターだったと言えるでしょう。
なお、アンドリュー同様に(?)ミック推しの私としては、ネタ目線で見づらい聖域とも言えるちょっと遠い存在でもあります。
ブライアンが生きてたら70年代には何をしたのか?、誰とつるんだのか?。
辞めなかったらストーンズは何年で解散したのか?、傑作「ならず者」は世に出たか?…。
考え出したらキリがない、妄想と幻想の「たられば」がとめどなく湧き上がる偉大なる初代リーダーです。