1974年10月のミスター長嶋引退試合から、87年6月クロマティ大暴れまでのアーカイブ。
ただし、70年代からのチョイスはミスター引退試合だけでした。
10-0でゲームセットとなった1974.10.14ダブルヘッダー2試合目。
「サード長嶋」と「ファースト王」による最後のツーショットは絵になり過ぎのカッコ良さ。当時を知らない者が見ても胸が熱くなる名シーンです。
ミスターの最終打席は8回ウラ1アウト1,3塁という絶好の場面に巡ってきました。
これは先頭打者・柴田から2番・高田、3番・王さんのV9打線渾身のつなぎによるもの。
三者凡退だったら実現しなかったボーナスステージに超満員5万の長嶋信者は沸点到達の大盛り上がりです。
ミスターの芸風からするとここでドデカい花火が打ち上がるはずだったのですが、結果は最悪のショートゴロゲッツー。
もう今までのようにはいかない…。
本人とファンに現実を突きつけるガチンコの幕引きだったと言えるでしょう。
10.14は月曜日。日曜日の予定が雨で順延になったんだそうです。
結果として、大人たちはみんな何かしらの“サボり”をカマして平日昼間の後楽園に集結することに。
なんとその中には、後に長嶋政権下で4番を張った現中日GM・落合氏(当時サラリーマン)もいたとかいなかったとか…。
そんな最高レベルの忠誠心を持ったファンで埋め尽くされた純度100%の空間。これが日曜日の昼間だったら、まったく違った空気になっていたでしょう。
舞台演出は大の男どもによる絶叫と嗚咽。
不世出のスーパースターは、魂を揺さぶるムサッ苦しい花火をブチ上げてその華やかな現役生活にピリオドを打ちました。
【若大将初アーチ】
1981年の開幕第2戦。ポストON という巨大看板を背負わされたルーキー・原が、速球王・小松からプロ入り第1号ホームランをかっ飛ばしました。
実に順当なステップを踏み出した若大将。さすがに選手としては無理でしたが、監督としての実績はONを凌駕したと言って良いのかもしれません。
【闘将沈没】
今も昔も巨人が大っ嫌いな星野仙一。1982年4月20日の熊本決戦では、最終回1点リードを守れず永遠の伏兵・山本功児にサヨナラ打を食らってしまいました。
怒りに震える闘将にヘラヘラ駆け寄った熊本のクソガキは、自分の32年前の無鉄砲っぷりにワナワナ震えている事でしょう。
【起死回生のキヨシ】
星野撃沈2日後の4月22日は、巨人-中日通算1000試合目となる平和台決戦。不調を囲っていた中畑が劇的なサヨナラ3ランでこの記念日を飾りました。決め台詞「絶好調!」を誘発すべく「調子は?」と問うたアナに「イマイチです!」とつれない返事のキヨシ。ホントに絶不調だったんでしょう。
【1年後にまたキヨシ】
4.22平和台から1年後の1983.5.8後楽園。今年も不調を囲いつつサヨナラホームランを放った中畑は、後楽園ゆうえんちのアイコン「スカイフラワー」をバックに感涙のヒーローインタビューとなりました。
結局いつが絶好調なんだよ、とツッコミどころ満載の絶好調男です。
【クロウ通算100号】
1986年9月26日、中日エース・小松から逆転2ランを放ったクロマティ。来日3年目にして通算100号を達成しました。「楽をしてもクロウ、苦労…」というムチャクチャな応援歌を充てがわれた陽気なガイジンは栄光の巨人軍史上最強の助っ人外国人。この評価に異論はないでしょう。
【三冠王見参】
落合がセリーグ初参戦した1987年開幕戦。江川を押しのけて開幕投手となった西本は、全球シュートというドラマチックなおもてなしで現役三冠王を迎え撃ちました。
ちなみに解説のミスター長嶋さんは「いやぁトリプルという数字は大変」と、落合の3年連続三冠王GETをやんわり否定していました。
【クロマティ大噴火】
満月の夜だったという1987年6月熊本決戦。中日ピッチャー・宮下によるビーンボール(?)攻勢にクロマティが大噴火。2、3発ぶん殴って退場処分を食らってしまいました。
走りながらストレートパンチ的中という神業。これだけでもクロウの格闘技適性にAAA評価を下すべきでしょう。
=====================
1994年の「10.8」や近藤のデビュー戦ノーヒットノーラン(1987年)など、巨人-中日には明るい人工芝の後楽園ではなく薄暗いナゴヤ球場の印象が強く残っています。
親会社は相変わらず適度なライバル関係。後楽園もナゴヤもとっくに無くなった2014年、中日・落合GM主導の程良い因縁マッチ勃発に期待しています。