帝王=ボブ・バックランドと超人=ハルク・ホーガンの昭和55年の活躍をピックアップ。
超人ホーガンはこの年が初来日でした。
昭和55年5月の第3回MSGシリーズ高松大会。
初来日のハルクホーガンは、時のWWF王者・ボブバックランドとの一騎討ちというビッグチャンスをGetしました。
銀髪鬼・フレッドブラッシーの英才教育を受けるホーガンは、背中にムダ毛ボーボーの粗野な怪力レスラー風情。
解説席の鬼軍曹・山本小鉄さんは「5年後には世界タイトルを獲る」と断言していましたが、後にその予言が1年前倒しで実現するとは、この時誰も想像できなかったのではないでしょうか。
試合はバックランドの必殺コブラツイストでホーガンがギブアップ寸前のところ、当時の兄貴分・ハンセンが乱入。
MSGの新旧看板レスラーによる貴重なシングルマッチは、昭和ならではの不透明決着となりました。
しかしこの結末、ギロチンドロップもアックスボンバーもない超人にとっては勝利に等しい好待遇なのかも知れません。
高松決戦から半年後のMSGタッグリーグ戦・大阪府立体育館。
ホーガンは先輩・ハンセンのタッグパートナーとして、日米帝王コンビ・猪木&バックランドと優勝を賭けたビッグマッチに臨みます。
最後は猪木の逆さ押さえ込みに屈したものの、すっかりアカ抜けたトップレスラーとしてのファイトスタイルを猛アピールしました。
ここからたった3年弱で一気に世界のトップ中のトップにのし上がった超人ホーガン。格的には偉大な先輩3人を圧倒的に凌駕する事となります。
そのホーガンのポテンシャルにはあらためて感服、不滅の超人&ミスターアメリカのルーツが昭和の日本マットにあった事は誇らしいばかりです。
今回はホーガンとバックランドだけ見せてくれりゃあいいのに、何故かドラゴン藤波とデュオランバダ健悟のNWAインタージュニア戦も放送。
木村健悟=アメマ間寛平の酷似っぷりを再認識する試合は、両者ノックダウンという壮絶決着となりました。
バックランド&ホーガンの本拠地・マジソンスクエアガーデンからの試合も放送。昭和55年の年末に行われた谷津嘉章のプロレスデビュー戦です。
エンタメ大聖堂・MSGでのデビューとは、谷津嘉章が如何に「別格」としてリスペクトされていたかを物語るエピソードといえるでしょう。
まあ、それだけに次年の日本デビュー戦における虐殺(執行人・ハンセン&ブッチャー)が際立ってくるのですが…。
拠り所であったWWF=マジソンスクエアガーデンの威光をフル稼働させていた昭和55年の新日本プロレス。
その最大の成果はハルク・ホーガンの本格化でしょう。
現WWEはスルーに徹するでしょうが、1980年代中盤以降のアメプロ隆盛の礎はこの頃の極東の地・日本マットがその一翼を担っていたのだと私は思います。