録画した日〔2012/7/9:日テレG+〕
今年の7月にノアマットでデビューしたケビン・フォン・エリックの長男ロス・フォン・エリック&次男マーシャル・フォン・エリックへのご祝儀特集。
彼らにとってのお爺ちゃん、フリッツ・フォン・エリックの試合を中心とした全5試合です。
私にとっての「フォン・エリック」は、テキサスの黄色い薔薇デビッド・フォン・エリックです。
「次期NWA王者の最有力候補」「フリッツに一番似てる」という幻想を身に纏ったまま日本で客死してしまったデビッド。その第一報だった東スポはしばらく捨てられませんでした。
昭和58年6月、エリック王国総本山・リユニオンアリーナで行われた”ゴージャス”ジム・ガービン(withサンシャイン)とのテキサスヘビー級王者決定戦。
ジム・ガービンの試合巧者ぶりに悪戦苦闘するデビッドですが、超満員完全ホームのダラスファンは次代の大物の一挙手一投足に大嬌声を送ります。
結果はジム・ガービンがズルしてイタダキの王座奪取。
ちょっと荒削りな面が目立ったデビッド。NWA&フリッツによる英才教育真っ最中といった所でしょうか。
デビッドが生きていたら、そして「シナリオどおり」昭和59年にNWA戴冠していたらその後のアメリカマット界はどうなっていたのか?
昭和59年は超人ハルク・ホーガンがWWFのトップに立った年。謎掛けと妄想だけが残る、あまりにも惜しい未完の超大物レスラーです。
次男・デビッド惜敗の流れで行われたメイン戦では、長男・ケビンが7度目の返り咲きを果たしたばかりの美獣・ハーリーレイスに挑戦。
これはさすがにケビンが可哀想なマッチメイク。あまりにも貫禄の差がある文字どおりのチャレンジマッチです。
試合は美獣・レイスのノラリクラリ殺法に激怒した次男・デビッドが乱入。ケビンの反則負けとなりました。
最高峰”レイスモデル”ベルトを強奪したデビッドは「次はオレだ」と猛アピールです。
なお今回、残念ながら三男・ケリーの試合は無し。伝説の1984.5.6ダラススタジアム「In Memory Of David」のNWA戦を見たかったのですが…。
御大フリッツ・フォン・エリックの試合は3試合放送。
昭和44年ロサンゼルス大会では、「ビッグ・ショーヘイ・ババ」とコールされる馬場さんのインターナショナル選手権に挑戦しました。
ダラスの帝王・フリッツもここロサンゼルスではヒール役。
ロスっ子の大声援を受けた馬場さんが、リング狭しと縦横無尽に暴れまくります。
最後はフリッツ大暴走による反則勝ちでしたが、馬場さんのアメプロ適性にはつくづく感心。日本が誇る世界標準のビッグスターである事を再認識する貴重映像でした。
昭和50年の長野大会では、若大将ジャンボ鶴田が鉄の爪迎撃に名乗り。
しかしフリッツの関心は、翌週テキサスデスマッチを控えた放送席の馬場さんでした。
鮮血を思わせる真っ赤なシャツのフリッツは、セコンドの桜田(後のケンドー・ナガサキ)をアイアンクローで瞬殺。夕涼みの親父みたいなボロ肌着姿の馬場さんと睨み合います。
ちなみに背後にカットインしているのは倉持アナと大仁田厚。後にそれぞれの道で大ボラを吹きまくる2人の懐かしショットです。
試合は鶴田が不完全燃焼の反則勝ち。
放送席の馬場さん、今度は大流血の愛弟子・鶴田と睨み合いです。
馬場さん絶対王政の全日。そんな縦社会において「もう一回」のアピールを御大に直訴できるあたり、馬場さんによる若大将ジャンボへの厚遇ぶりが覗えます。
長野で膨張した因縁抗争は両国・日大講堂で沸点到達。
何でもありのテキサスデスマッチは、次期NWA王座挑戦権決定戦でもありました。
早々に大流血した両者は、グチャグチャドロドロのド迫力ファイトを展開。必殺・アイアンクローをめぐる、仕掛けるフリッツvs逃げる馬場さんの丁々発止の駆け引きはもはや芸術の域と言えるでしょう。
超一流の2人だからこそ成立する小細工なしの重厚なワンテーママッチです。
質実剛健な最強オヤジ・フリッツと、イケメン揃いのフレッシュな親孝行3兄弟(ケビン、デビッド、ケリー)。
小学生だった私にとって、エリック一家は現実離れした夢の様な存在でした。
6人中5人が早逝、しかもうち3人が自殺という「悲劇」以外何ものでもない呪われたファミリーですが、忘れ形見ケビンはどうか幸せに暮らして欲しいと心から祈っています。
今年「三世」がデビューしてた事は知らなかったんですが、何かと傾き気味のノアには埋もれず、ロックやランディオートンの様に偉大な「三世」ビッグスターになって欲しいものです。