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2015/02/12

美空ひばり圧巻! スーパーライブ大全集

録画した日〔2015/2/4:BSTBS〕

今年が27回忌となる美空ひばりのアーカイブ集。
「○○周年」など節目節目のリサイタル映像が中心です。
昭和45年に敢行したブラジルサンパウロ公演。
当時33歳日本髪姿の女王は、超満員1万人の日系人に向けて過激フレーズ連発の極道ソング「関東春雨傘」を熱唱します。
サンパウロまでのフライトは片道30時間を要したとの事。
時間=コストと考えれば移動だけの60時間は明らかに持ち出しの域。このほか当時の衛生事情や安全面を鑑みると地球の裏側へ巡業するリスクは計り知れません。
しかしそれでも「待ってるお客さんがいるから」と飛んで行っちゃうのが美空ひばりの真骨頂。
ファンのため、同胞のためなら損得かまわず体を張るその芸人魂こそ、彼女が“女王”と崇められる所以なのでしょう。
昭和51年に中野サンプラザで開催された「芸能生活30周年リサイタル」。
ちょうどこのころ身内の不祥事が続いてた我らが女王は、“正装”とも言えるボーイッシュ袴スタイルでお礼とみそぎの口上をブチ上げます。
それにしても女王の男装は絶品。
同じ昭和51年の聖地・新宿コマ公演では、粋な着流し姿で放送コード度外視の任侠ナンバー「やくざ若衆祭り唄」を貫禄たっぷりに唄い上げました。
絶品といえば、他アーティストの曲をカバーする女王もまた絶品。
昭和55年の新宿コマでは、宇多田ヒカルのお母さん=藤圭子のデビュー曲である「新宿の女」を文句あっか?とひばり節で拝借します。
また、昭和57年中野サンプラザ公演は全曲洋楽カバーで構成する新機軸。
英会話が全くできないはずなのに英詩曲唄ったらネイティブそのまんまだった、という有名な天才伝説を超満員のファンの前で実証しました。
デビュー35周年となる昭和56年。
円熟の44歳で迎えた記念リサイタルの舞台は北の丸日本武道館。ここで女王はセットリスト50曲昼夜2回公演という過酷な鉄人戦に挑みます。
前日にお母さん危篤の報を受けるという極限状態に身を置きながら、集まったファンのために渾身の100曲完走を果たした女王。
武道館のド真ん中に君臨するその姿は圧巻。まさしく絶対女王です。
最強ブルース「悲しい酒」では汗と涙でグシャグシャになりながら7分超の情念パフォーマンスを展開。
そんな名シーン続出だったこの武道館決戦は、ファン/関係者の中で美空ひばり生涯最高のステージとされているそうです。
芸能生活40年目へ到達した昭和61年。
記念リサイタルは中野サンプラザ、このほかTBS「ロッテ歌のアルバム」で“芸能生活40周年記念”と銘打たれたスタジオライブが開催されました。
スタジオを練り歩き、無国籍チューン「お祭りマンボ」をシャウトする女王。
この女王降臨に観覧席のお父つぁんおっ母さん方は笑顔満開で大喜び。「一生モノ」の体験とはこんな事を言うのでしょう。
そしてあまりにも有名な最晩年・昭和63年の東京ドーム公演。
今考えれば本人の体調はもとより、音響/演出などのノウハウがまだ無かったドームで単独ライブを敢行した事こそムチャの極み。
常に「お客さんがいるから」の観点で動く、女王の芸人魂の最終形だったのではないでしょうか。

いわゆる年配層からは今でも絶大な支持を得ている美空ひばり。
子供の頃は古い演歌の人というイメージしかありませんでしたが、歳を取ってから見ると何をやってもカッコいい凄玉ミュージシャンだったのだと気付かされます。
御用マスコミ連中集めて超豪華パーティやって的な「芸能人」としての王道を貫くスタイルもたまらない魅力。
以降、芸能界にこれができる人が出てきていない事も女王の存在が陰らない理由の一つです。
時代が良かったとかではなく、個として持つ圧倒的能力でのし上がったスーパースター。
フォロワーは数多かれど、絶対女王の座が揺らぐ事は未来永劫ないのだろうと思います。

2014/09/16

ポール・マッカートニー&ウイングス バンド・オン・ザ・ラン (Paul McCartney and Wings Band On The Run)

録画した日〔2014/8/2:チャンネル銀河〕

2010年に英国ITVで放送されたドキュメンタリー。
名盤「Band On The Run」の製作過程をポールマッカートニーが振り返ります。
ソロになって3年、当時のポールは三十路を過ぎたところ。
牧場で暮らしたりアポなし子連れライブを敢行したりと気ままな音楽活動をしていましたが、こと創作活動となると「Beatles超え」という超ド級のノルマが常に課せられていました。
バンド・オン・ザ・ランはそんな「そろそろ一発」的ムードが高まる1973年暮れにリリース。
ラスト曲「西暦1985年(Nineteen Hundred and Eighty Five)」は12年後の未来を歌っていた事となります。
成果としてポール会心の一撃となったこのアルバムですが、その製作過程は波乱に富んでて実にドラマチック、要するに無茶苦茶だったようです。
波乱の根源はポールがナイジェリアの「ラゴス」という街を録音地に選んだ事。
このワケの分からんアフリカ合宿にドラムとギターが造反。出発前日に2人のボイコット劇が勃発します。
こうして結局ラゴスに赴いたのは、ポール&嫁リンダ(音楽ド素人)とデニーレイン(ギター他いろいろできる)の3人だけとなってしまいました。
80年代新日を彷彿とさせる造反離脱劇を「説明をする手間が省けた」と超解釈するポール。
この一本突き抜けた天真爛漫さは「どうってことねぇよ」「いい大掃除ができた」の猪木イズムに通じるものがあります。
ポールイズムの凄いところは、適当な猪木イズムと違いこれらを決して大風呂敷に終わらせずドラムから何から全部実践してしまうハードワークっぷり。
やろうと思えば何でも自分で、それも他を圧倒するハイレベルでこなしてしまう…。サラリーマンとしては上司にも部下にもしたくない天才野郎です。
英米に比べると圧倒的に治安の悪いラゴス。
自由気ままなポールはやっぱりというか何というか強盗に遭遇し、しかもよりによって「デモテープ」を強奪されてしまいました。
ある意味メンバー離脱より痛いバンドの財産喪失。アフリカ合宿もこれで一巻の終わりと思われたのですが…。
この苦境に「とりあえずメモってあったから」と軽くリカバリに取り掛かったポール。
もはや凡人には理解不能の天才ポールの行動力学。だったらもう最初っから1人で全部やれよという話ではないでしょうか。
この他、そもそもスタジオ自体がなかった(!)などトラブル山積のラゴス合宿。
その首謀者ポールは何が起こってもノープロブレムで全然平気と思いきや、ある日遂になんとストレスで体調を崩してしまったとの事です。
にわかには信じがたい天衣無縫男のストレス禍。まあ本人がそう言うんだからそうなんでしょう。
しかしこのピンチにおいても「意識が戻ると気持ちイイ」などとトリップ的な意味でやっぱりどこ吹く風。もはや心配するのも馬鹿馬鹿しくなってしまいます。
そんな地獄のラゴス合宿で作り上げたアルバムは、いろいろ手を加えて年末にリリース。
その脱獄風ジャケ写は、俳優や司会者、プロボクサーなど当時のいわゆるセレブ連中に声を掛け10月に撮影されたんだそうです。
私はこれが全員ウイングスのメンバーなんだとずっと思ってました。
実際にセールスに火が着いたのはリリースから半年ぐらい経った翌1974年の夏頃から。
今となっては文句なしの名盤ですが、当時はジワジワと良さが浸透するスルメ系アルバムという位置付けだったのでしょうか。
ちなみにポールの一番のお気に入りは「レット・ミー・ロール・イット(Let Me Roll It)」だそうです。
そもそもが無理な「Beatles超え」はできなかったものの、解散3年にして「Beatles級」の結果を残したポール。
それにしても、はや30歳にして過去の自分と対峙を迫られるプレッシャーが如何ほどなのか、我々市井の人間には想像ができません。
でも幾多の天然エピソードを知るにつけ、やっぱりこの人は深い事は考えてなかったのでは?、という感も…。
むしろぜひともそうであってほしい。
「バンド・オン・ザ・ラン」は、おおらかな時代におおらかな天才が作った名盤なんだと思っています。

2014/07/28

TOSHIHIKO TAHARA 35周年SPECIAL

録画した日〔2014/7/26:BSスカパー〕

6月24日Zepp Tokyoで行われた田原俊彦のデビュー35周年スペシャルイベント。
抽選で選ばれた800人のお客さんを前に全17曲が披露されました。
御年53歳となったビッグトシ。
寄る年波には逆らえないのでしょうか呼吸は薔薇薔薇、曲の合間にO2を補給してIt'sBADなコンディションの回復を図ります。
とはいうものの、全17曲に渡ってブッ放し続けたビッグトシダンスは年齢を感じさせない驚きのキレ味。
哀れさを誘うO2補給ムーブはきっとビッグトシ流ギミックの範疇。「あの頃」の芸能人水泳大会(および大運動会)で常に頭ひとつ抜けていた、業界屈指のフィジカルポテンシャルの片鱗を見せつけます。
疲労困憊であろう終盤大詰め「抱きしめてTonight」で見せた定番の垂直足上げ(正式名称不明)。バックダンサーの現代版・ジャPAニーズのそれを凌駕するクオリティです。
今は亡き“MJ”のフォロワーでもあるトシ。ダンスへのガチな姿勢は何年経っても変わることはないのでしょう。
普段のLIVEではどうなのか知りませんが、この日はビッグになる前の“トシちゃん”期のナンバーも臆することなくラインナップ。
「ハッとして!Good」「ブギ浮ぎI LOVE YOU」といった軽くイタい迷曲もフルバンド仕様だと何やら骨太感が漂います。
なお私としては、アホ系アイドルポップの極み「NINJIN娘」を人参カラーのポシェット付きで見たかったです。
締めのナンバーは「LOVE&DREAM feat.SKY-HI」という35周年記念の新曲。
何があろうと何と言われようと現役歌手という矜恃を貫くファイトスタイル。これこそ彼が「ビッグ」たる所以ではないでしょうか。
「たのきん」が猛プッシュされていた子供の頃、私の周りではヤンチャなマッチが一番人気。トシちゃん派はごく少数でした。
しかし歳を取るにつれ、アイドル道のド真ん中を進んでいたトシちゃんへのシンパシーは急騰。某古巣からの圧力で失脚した90年代以降の経緯を知れば尚の事です。
今更ブレようもないでしょうが、いつまでも変わらずビッグな男としてステージで踊り続けてほしいと思います。

2014/07/22

MUSIC FAIR 50周年記念特別企画「80s’伝説の名場面集」

録画した日〔2014/7/19:フジテレビ〕

放送開始から50年を誇る超・長寿番組のアーカイブ企画。
HDDレコーダーのキーワード「勝新太郎」に引っ掛かって録画されていました。
「うん、歌手として唄う事んなっちゃった」と余裕の体で番組ディーバ(当時)星野知子嬢とマッチアップする勝新。
しかし放送当時の昭和57年といえば、借金地獄でブッ潰した”勝プロダクション”のすげ替えとして新生”勝プロモーション”を旗揚げしたころ。
のんきに唄ってる場合じゃねぇ…、債権者達の歯ぎしりが聞こえてくるようです。
「夜はくりかえす」とかいう80s’歌謡史を何回ひっくり返しても出てこないレア曲を熱唱する勝新。
債権者向けの困窮アピールなのか、この日の衣装は草臥れたカーキ色のパーカー。その風情は釣りの帰りにスナック寄って気持ち良くカラオケしてるそこら辺のオッサンと変わりません。
とにもかくにも我らの勝新が気持ちよさそうで何より。貴重なお宝映像を放出してくれた番組大タニマチ「シオノギ」に大感謝です。
さらにこの放送ではビッグスター勝新太郎が霞むほどの歌謡史名場面が連発。80s'にクソガキだった私にとっては感涙モノのアーカイブとなっていました。

80s'のアイコン・松田聖子。名曲「夏の扉」は弱冠19歳のときの作品でした。
「ぶりっこ」「ママドル」というギミックを創出したスーパーアイドルは、度重なるヒールターンを経ながら現在もトップに君臨。
その他大勢の80s'アイドルと絶対に迎合しないガチなファイトスタイルはもっと賞賛されるべきではないでしょうか。
”いわゆる普通の”どころじゃない17歳の絶対女王・中森明菜。
その立ち振舞いのカッコ良さと存在感は、男性アイドルも含め歴代最強クラスです。
90年代以降は長期低迷に入ってしまったようですが、彼女が80s'に残した威光が陰ることはないでしょう。
「なんてたってアイドル」など邪道スレスレのアングルを仕掛け80s'を席巻した小泉今日子。
聖子&明菜がいるトップ戦線ド真ん中では勝負をしない、今思えば実に絶妙なポジショニングです。
しかしこれは彼女にトップ級の実力とセンスとあったからこそ。その後30年に渡る超一線級の活躍がそれを証明しています。
なぜかムード歌謡シフトのチューブに、ボンテージ/モジャモジャ/ド派手という不動の隊列を誇るアルフィー。
両軍とも私が釘付けだった80s'の印象のまま、今だトップランナーとして走り続けています。
特にアルフィーは今年結成40周年だとか…。その芸の力は計り知れません。
スキャンダルを歌一本でチャラにできる超実力者・玉置浩二と、絶頂期はジャニーズ勢を軽く凌駕していたポップスター・藤井郁弥(フミヤ)。
30年後の今見てもそりゃモテるわなというルックス、何と言っても眼力が違います。
2人とも「あの人は今」とは対極の世界に生きていくのでしょう。
そんな群雄割拠の80s'最強の王者は寺尾聡「ルビーの指環」。ベストテンというシステムが生み出した巨大現象です。
当時小学生だった私を含め、歌詞の意味など分かる筈もないクソガキ連中もフルコーラス対応可能。
郷愁を誘うとかとは懸け離れたジャンルなのですが、例のイントロを聴くだけで懐かしい気持ちになれる全世代共通の流行歌と言えるでしょう。

この他にも井上陽水(with中森明菜)やツイスト・世良公則、総立ち娘・山下久美子などなど80s'のレジェンド達がこれでもかと登場した濃密すぎる30分。
司会者やゲストのコメントが一切無い、実にストロングスタイルで良心的なオッサン殺し番組でした。
まあとりあえず、勝新の「夜はくりかえす」もたまには思い出してみようと思います。