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2012/08/19
ワールドプロレスリングアンソロジー #3「伝説のマスクマン ザ・コブラ 秘蔵哀愁名勝負選」
録画した日〔2012/8/10:朝日ニュースター〕
幸か不幸か「ネタレスラー」として再評価されているザ・コブラを特集。
当時総スカンを食らわした我々オッサン世代としては、贖罪の念で刮目しなければいけない貴重な映像集です。
このアンソロジーで私が初めて知ったのは、”ザ・コブラは佐山タイガーの後釜ではなかった”という事実。
当時小学5年生、子供目線でもタイガーの代わりに引っぱり出してきた急造マスクマンというイメージしかなかったんですが…。
佐山タイガーの電撃引退が1983年8月10日。
その3日後の8月13日に「売出し中の若手マスクマン」はカルガリーハート一族のスタンピードレスリングに登場していました。
このタッグマッチ、アニマル”浜さん”浜口の無法乱入でノーコンテストに。
レスリング72kg級の愛娘・アニマル京子を襲った数々の理不尽ジャッジにもリングへの乱入まではしなかった浜さん。
若かったあの頃…、という所でしょうか。
そして1983年11月の蔵前国技館。
ちびっ子ファン期待のNEWヒーロー初戦に水をさしたのは、デイビーボーイ・スミス(元ザ・バンピード)でした。
爆弾小僧・ダイナマイトキッドすら手に負えない程のウルトラトンパチ野郎に、期待のホープのデビュー相手を任せたのは新日痛恨の大失策でしょう。
この試合、あまりのしょっぱさに急遽ハイライト放送になったというネタがコブラ伝説の一つになっていましたが、このアンソロジーでは完全放送してくれました。
実際はしょっぱいということはなく、単にデイビーボーイ・スミスがザ・コブラに全く花を持たせなかったという展開。
「話のわかる」メキシカンレスラーを登用しておけばザ・コブラの運命も変わっていただろうに、返す返す残念なマッチメイクです。
番組最後3試合目は、1984年1月・愛知県体育館のダイナマイト・キッド戦。
この後キャリアの絶頂期へ向かう爆弾小僧、入場時点でレスラーとしての色気が段違いです。
試合には勝ちましたが、ダイナマイト・キッドというモノサシで測られることにより「こりゃタイガーとは違うか…」という、ザ・コブラのポジションが決定してしまいました。
#1佐山タイガー、#2アントニオ猪木と来て、三段落ちの如きザ・コブラの抜擢。
やりたい放題のシューター・流智美が、さっそく「仕掛けてきた」#3と言えるでしょう。
ザ・コブラがOKなら、取り上げるネタは外人レスラー含めてほぼボーダレスなはず。趣味の延長で構わないので、細く長く継続してほしい番組です。