傑作アルバム「Exile on Main St.」の録音過程を振り返るドキュメンタリー映画。
制作は2010年。「ストーンズ・イン・エグザイル ~ ”メイン・ストリートのならず者”の真実」という邦題で日本でも公開されました。
ストーンズ屈指の名盤が録音された地は昭和46年夏の南フランス。19世紀に建てられたネルコート(Villa Nellcote)とかいう大豪邸が舞台です。
豪邸所有者はキースリチャーズ&アニタパレンバーグwith長男マーロン君の極悪一家。
このキース一家の他、ストーンズの面々は当時の英国の所得税率=93%に耐えきれず、フランスに経済的亡命(=Exile)をしていたのでした。
そうでなくても「そもそも引越しが嫌い(チャーリー)」「フランスは牛乳が違う(ビル)」とトホホなレベルでホームシック気味の真面目系リズム隊・チャーリー&ビルは、ヤル気満々の不良番長からの招集に戦々恐々です。
バンドの看板・ミックジャガーは、ニカラグア人のビアンカさんと名所サントロペで結婚式を挙げたばかり。身重の新妻をパリに住まわせ単身赴任で参戦です。。
そしてもう一人のミック、貴公子・ミックテイラーは「ジェット機に乗って楽しかった」と相撲部屋にスカウトされて上京した中学生のような気持ちで悪魔の館キース邸に馳せ参じました。
ちなみにキースの招集に一番ご機嫌だったのは、準メンバーのサックス奏者・ボビーキーズ。
キースリチャーズと生年月日が完全一致するサックス吹きイカレポンチ野郎は、ロック的な自堕落さで南フランス暮らしを謳歌したようです。
そんなこんなで決行されたローリングストーンズ夏合宿in南フランス。
1曲1曲にたっぷり時間を掛け、納得できるまでこしらえて行くという濃密スタイルが基本路線です。
公私のケジメは思いのほかしっかりしていたようで、演奏やレコーディングシーンに限っては女性と乱痴気騒ぎしてる気配は一切ありませんでした。
ノープランながらも合宿の大まかなスケジュールを組んでいたのはキースだった模様。
計画的なミック・ジャガーと風来坊的なキース・リチャーズ。それでもウマが合うのは、両者とも根っからのマジメ男だからでしょう。
そんなキースによる「ミックがロックで、オレがロールさ!」はロック史上に輝く名キャッチです。
音楽的には極めて誠実な夏合宿ですが、オフタイムにはロックファンの溜飲を下げる「セックス&ドラッグ&ロックンロール」の象徴カットが満載でした。
しかし楽しい日々は長く続かないもの。
色々とモラルハザードが発生し、秋の始まり9月になると皆んな自主的に帰宅。歴史に残るレコーディングセッションは自然消滅的に終止符を迎えてしまいました。
ひと夏の思い出をビジネスとして仕上げるべく、ストーンズのメンバーは米国LAに遠征。ダビング作業や(かの有名な)アルバムジャケット制作をコツコツとこなしました。
そして翌年の昭和47年、怒涛の全18曲ダブルLP「メインストリートのならず者」として合宿の成果物を全世界へリリースする事となります。
フランス、LAでのストーンズの姿を通じて感じるのが、音楽に対してやたらとマジメで熱心で真摯であるという事。
アーティスト、ロックンローラーよりも「職人」「マニア」と呼んだ方がいいような気もしてきます。
セックス&ドラッグ&ロックンロールのスキャンダルお騒がせモードはあくまで表現方法でありギミックの一貫。リアルでそれを貫いていたら1970年代に年一のペースでアルバムを出せたはずがありません。
自己レーベル第一弾「スティッキーフィンガーズ」の成功に続くべき大事な大事な2枚組勝負作。
しかし待ち焦がれたストーンズファンのワクワクギラギラの期待感は「#1 RocksOff」のダラけたイントロでブチ壊されます。
私が「ならず者」を聴いたのは昭和63年高校1年生の頃。「ヤマ場はどこ?」というのが最初の感想でした。
「#5 Tumbling Dice」「#10 Happy」などの重要曲もありますが、全編ユルくて泥臭くメリハリのない18曲。
このアルバムの楽しさが理解できたのは、7,8年を経て社会人になってからでした。
そして今回のお宝映画「ならず者の真実」を観て、ロックの要素が全て詰まった歴史的名盤であることを再認識。既存の価値観だけでなく時代の空気や流行までも鼻であしらう昭和47年(46年)の王者ストーンズの気概が伝わる大傑作といえるでしょう。
まあ、南フランスの香りはいまだに全く感じられませんが…。