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2015/06/29

70's80's JUKEBOX 〜カテゴリ別 名曲プレイリスト〜 #12「プロレスラーが歌った歌」

録画した日〔2015/6/28:歌謡ポップスチャンネル〕

プロレスラーが歌うクソ曲を晒しあげる夢のような番組。
第一試合はこのジャンルの先駆者であるビューティペアが務めます。
「かけめぐる青春」(1976年11月)
ビューティペア:全日本女子プロレス
「タカラヅカ」的アプローチで少女ファンを開拓し、売上80万枚を記録したプロレス歌謡の金字塔。
まあ、こうした一発大当たりはすべて全女松永ファミリーがカマすジャブジャブ大放蕩経営の源泉になっていくんですが…。

「燃える青春」(1978年2月)
マッハ文朱:全日本女子プロレス
「スター誕生」決勝進出者という金看板を引っ提げてプロレス入りしたマッハはビューティーペア出現前の全女を支えた功労者。
この作品は引退後にリリースされたもの。抜群のタレント性を活かしたマッハのセカンドキャリアは女子プロレスラーの理想型ではないでしょうか。

「ローリング・ドリーマー」(1980年2月)
ジャンボ鶴田:全日本プロレス
“人は誰でもローリングドリーマー”などと意味不明の理論をブチ上げるこの曲は、ジャンボがまだ「善戦マン」と呼ばれてた頃の入場テーマ。ただし試合会場で流れていたのは歌がカットされたインスト版でした。
アコギ1本でライブをしたこともあるジャンボの歌声は伸びやかでけっこう豪快。まあいずれにせよカットして正解です。

「ゆき子」(1980年5月)
阿修羅原:国際プロレス
そのイカツイ風貌とは裏腹に甘い香りを醸し出すダンプガイのデビュー盤。
なお、阿修羅原の代表曲はこの「ゆき子」ではなく、“蜂の一刺し”榎本美恵子嬢とのデュエット「恋遊び」(1984年リリース)であるという事を付け加えておきます。

「星空のグラス」(1983年6月)
大仁田厚:全日本プロレス
聴いてビックリな超美声を誇る大仁田。邪道どころかムード歌謡王道の域に達しています。
ただここで問題なのはこの曲のリリース時期。選手生命を断つ大ケガを負ったのはわずか2ヶ月前、グラスだかダラスだかテキサスだかしっぽりと歌い上げてる場合じゃない絶対安静のサンダーファイヤーです。

「ザ・テーマ~バーニング・タイガー」(1983年7月)
タイガーマスク:新日本プロレス
何をやってもハイレベルな天才・佐山タイガー。
この曲はそのままアニメ主題歌になってもおかしくないレベルの佳曲なのですが、本人は恥ずかしくて仕方なかったのだとか…。
なお、この恥ずかしい仕事が1か月後の大スキャンダル新日離脱劇へとつながったのかは明らかにされていません。

「セクシーパンサー」(1983年11月)
ミミ萩原:全日本女子プロレス
ビューティペア期とクラッシュギャルズ期の間に咲いたミミ。
表題、およびジャケ写から漂う下衆っぷりは昭和のノスタルジー。しかしその一方、現代WWEのディーバ路線を先んじていたという解釈もできる日本初のエロ系アイドルレスラーです。

「愛のジャガー」(1983年12月)
ジャガー横田:全日本女子プロレス
現在はバラエティ番組でも活躍中の「現役最古参女子レスラー」がキャリアのピークでリリースした曲。
業界全体を底上げするほどの卓越したレスリングテクニックは、残念ながら歌にはほとんど活かされる事がなかったようです。

「孤独-ひとり-」(1984年3月)
木村健悟:新日本プロレス
反選手会同盟、平成維震軍、円天興行というアウトロー組織でのキャリアを経て、今はなぜか品川で区議会議員をやってる稲妻戦士。
レスラー時代の得意技は稲妻レッグラリアートと歌。どちらも他のレスラーが真似できないキレ味です。

「炎の聖書」(1984年8月)
クラッシュギャルズ:全日本女子プロレス
説明不要の超人気者・クラッシュギャルズがリングの勢いそのままにリリースした1stシングル。
荒削りギミックを象徴するように曲中の一人称は終始「オレ」。「ビューティ、ビューティー♪」のような世間に響くキメのフレーズがなかった点が惜しまれます。

「マッチョ・ドラゴン」(1985年11月)
藤波辰爾 ※当時は藤波辰巳:新日本プロレス
絶唱するドラゴン藤波に罪の意識はないでしょうが、地域によっては公害訴訟も起こされかねない歴史的超ド級クソナンバー。
この音源が海外に流出したらWWE殿堂者(Hall Of Fame)の栄誉は剥奪必至でしょう。

「明日の誓い」(1986年7月)
長州力:ジャパンプロレス
リキラリアット100発ぐらい食らってから聴いたら佐野元春っぽく聴こえるかもって感じのハードポップス。
ちなみに巷で話題の滑舌ネタを期待してるのならちょっとがっかり。革命戦士の歌声は思いのほかクリアに聴く人のド真ん中に突き刺さります。

女子の割合が多く外人レスラーの登場もなかった夢のオールスター戦。
昭和プロレスの黒歴史はこんなもんじゃなかったはず。我々ファンの「延長コール」が届くことを願ってやみません。