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2014/07/10

バース・デイ【サッカー:1997年、国立競技場が揺れた日】

録画した日〔2014/5/31:TBS〕

97年9月から11月にかけて行われたフランスW杯アジア最終予選。
国立競技場最後の日(2014/5/31)に合わせて、その軌跡が特集されました。
9.28韓国戦で炸裂した山口素弘の先制ループ。
この後襲い掛かる地獄絵図とのコントラストをふまえると、国立史上最も美しい瞬間だったと言って良いのではないでしょうか。
ちなみにこの9.28決戦でリポーター(および解説)を務めたのはゴン中山。やがてこの漢が代表を地獄から救出する事になるとはこの時知る由もありません。
それにしてもバリバリの代表候補に「上がり」のオファーを掛けるTBSも大概ですが、ノリノリでその業務をこなす中山のメンタルタフネスっぷりは脅威的です。

悪夢の日韓戦からひと月後、お上品な国立界隈神宮の杜が修羅場と化した10.26UAE戦。
「何だかんだでイケるよな…」とどこかタカを括ってた我々を待ち受けていたのは、更なるどん底へと転落する絶望のドロー決着でした。
キングカズも緊急参戦した前代未聞の場外バトルは、悪い意味で国立の歴史に刻まれた重要シーン。
ただ、事の善し悪しを抜きにすれば、この混沌は選手とサポーターが同じ目線で悶え苦しんでいたという濃密な過渡期の証であるとも言えます。

妙に優しくしてもらった11.1韓日戦とその次の日のウズベキスタンの頑張り(2位UAEとドロー)によって自力2位の権利をゲットした代表。
こうして迎えた11.8カザフスタン戦は、来たるべき最終決戦=ジョホールバルへ向けた熱い熱い出陣式となりました。
元リポーター・ゴン中山の豪快ヘッドをピークに、最初から最後まで凄まじい一体感に包まれた国立。
TVで見ていた私は「現場」が羨ましくて仕方ありませんでした。
最高の舞台とギリギリのシチュエーションがもたらした、これぞ極上のエンターテイメントです。

これら2ヶ月の壮絶ドラマを語る上で絶対に忘れてはいけないのが二十歳の王様・中田英寿の存在。厳格な岡田監督が全幅の信頼を置くまでのプロセスは侍魂溢れるものでした。
もしもこの逞しきツンデレ野郎がいなかったら…、考えるだけでゾッとします。
アジアレベルでの一喜一憂はこの97年が最後。
この5月の「聖地」閉鎖によって最終予選のカタルシスは完全に再現不可能となりました。
今でも現役なのはキングカズ(!)と川口能活だけか。
「代表」の重みやキツさ辛さを体現した熱い選手たちへの敬意は尽きないものがあります。

一方、ブラジル大会開幕目前の放送とあって随所にカットインされた現在進行形の代表。
そのキラキラ壮行会には苦笑いしか出てきません。
この途方もない興醒めは彼らの「顛末」を知ってるからではなく、私が97年の甘い思い出から今だ抜け出せず立ち止まったままのオッサンであるが故なのでしょう。