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2014/05/07

ローリング・ストーンズ:ヒストリー1975-1983~ロン・ウッド・イヤーズ~

録画した日〔2014/4/29:大人の音楽チャンネルMUSIC AIR〕

ストーンズをあれこれ批評する2012年のDVD作品(=The Rolling Stones:Under Review 1975-1983, The Ronnie Wood Year Pt.1)。
ロンウッド入団から「Undercover」リリースまでの10年弱を辛口に振り返ります。
パンク勢台頭などで支持率が低迷してきたこの頃。'75-76ツアーでは開場待ちで並ぶファンを嘲笑する若者も出現したとの事です。
ここはガツンと世代交代を食い止めたい王者・ミックジャガー。
その力を誇示すべく、超満員札止め大観衆の眼前で超巨大ハレンチ風船に騎乗するという驚愕の猛デモをブチ上げました。
そんなミック渾身のパフォーマンスも、ガチンコ批評家連中にはちっとも響かない模様。
私が大好きな'81-82ツアーのヒョロヒョロアメフトルックもまるで変なオジサン扱い。音楽的によろしくないものとしてバッサリと切って捨てられてしまいます。
本隊を巻き添えに転覆寸前だったこの頃のキース。批評家連中も「使いものにならない」などと散々です。
ただこの人の場合、それもこれも命あっての物種。
当時のエピソードをあらためて見るにつけ、健康面はもちろん法的にも「無事」だったのは奇跡といえるでしょう。
標題にもなった肝心のロンウッドは「とてもいい奴。音楽面はともかく…。」といった感じのなんとも失礼な評価。
しかし連中が何と言おうと、ストーンズの第2ギター職に最も必要なのがコミュ力である事は歴史が証明しています。
技術があればいいってもんじゃない。このあたりはサラリーマン社会も一緒ではないでしょうか。
口の減らない批評家連中は“聖域”チャーリーワッツにまで侵攻。
「Hey Negrita」における技量不足を突っ込まれた上に、もうみんな忘れてる80年代のドラッグ問題も掘り起こされてしまいました。
こうなってくると逃げられないのはストーンズの“性域”ビルワイマン。容赦なく俎上に載せられたのはお約束の「13歳」ネタです。
その後結婚してケジメを付けたものの、更にその後離婚しやがったムッツリベース野郎。
この案件について擁護の必要は一切ありません。
この期間にリリースされた(オリジナル)アルバムは5枚。
「女たち」「刺青の男」は異論なしの名盤ですが、いかにも叩かれそうな1983年の「アンダーカヴァー」も高評価だったのは少し驚きです。
その一方でボロクソだったのは異論なしの名盤に挟まれて1980年にリリースされた「エモーショナルレスキュー」。
ただし締めのキース作品「All About You」は全員絶賛。
私もこれは概ね異論ありません。
すっかりセレブ化したミックはこの頃からニューヨーク住まいになったとの事。
そこで培われた新しい芸風が「女たち」で大いに発揮されました。
上手いこと取り入れた“パンク”についても、ロンドン系ではなくアート色の濃いのニューヨーク系をパクれた事が成功の一因だったようです。
70年代後半、人生最大のピンチを乗り切ったキース。
クリーン化に成功し、椰子の木から落っこちてもビクともしない健康な体を手に入れました。
なおこの怪物の復活はやがてミックにとって厄介なものとなり、悪名高き「第3次世界大戦」を誘発する事となります。
新しい価値観による突き上げを食らった70年代中盤以降。
パンクなどの新興勢力からすれば、ストーンズは噛み付いて踏み台とするにはうって付けの権威だったのかもしれません。
そしてこれは、ストーンズ自身が新興勢力だった60年代と同じプロセスであるとも言えます。
そう考えると「ミスユー」「スタートミーアップ」のメガヒットは、そのタイミングも含め会心の一撃だったのでしょう。
特にスタートミーアップが世に出なかったなら、賑やかな“80年代”への参加を許されないロートルバンドに成り下がっていたかもしれません。
90年代から現代21世紀はレジェンド枠で悠々とシーンに君臨するストーンズ。
今回取り上げられたロンウッドイヤーズは、現役ランナーとして必死に先頭集団に食らい付こうとしていた最後のガムシャラな時間だったのだと思います。