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2014/02/15

中央競馬黄金伝説 #81「トウカイテイオー追悼企画」

録画した日〔2013/11/23:フジテレビONE〕

去年の8月30日にこの世を去ったトウカイテイオーの追悼番組。
レースだけでなく、パドックや本馬場入場のアーカイブ映像で蹄跡を振り返ります。
テイオーの「見せ場」はレースだけではなくパドックにもありました。
これはクラシック初戦・平成3年皐月賞のパドック。超イケメンのルックスとグニャグニャの歩様は、他の馬とは明らかに違うスペシャルワンとしての資質に溢れています。
「トウカイテイオーが復活したゾ(by杉本アナ)」の産経大阪杯が私のとってベストレース。出走決定からレース当日までのワクワクソワソワ感は尋常でないものでした。
「地の果てまで走る」。
普段多くを語らない岡部ジョッキーがブチ上げたこのビッグマウスは日本競馬史に残る名言です。
地の果てまで走れるはずだった3200m天皇賞(春)は5着惨敗。
よくよく考えればマックイーンが負ける要素を探すほうが難しいぐらいの「1強」レースだったんですが、当時は地の果てどころかこの世の果てレベルの絶望に打ち拉がれたものです。
その後の「骨折してた」の報に不謹慎ながら救いを感じたのは私だけではないでしょう。
初の敗戦から半年後、ぶっつけ復帰戦の天皇賞(秋)は7着。
しかしこの連続惨敗は国際G1の大舞台・ジャパンカップへの大いなる前フリでした。
史上最強メンバーを向こうに直線でスイスイ先頭に立った姿は痛快そのもの。
「岡部やった!」の岡部ジョッキーはもちろん、地の果てまでモヤモヤしていた我々テイオー信者も渾身のガッツポーズです。
スカッと快勝のジャパンカップでしたが、その翌月のグランプリ有馬記念では全くいいところなく不甲斐なさすぎの11着惨敗。
お腹こわして虫下しを飲んでたという、なんとも切ないエクスキューズ付きの転落劇でした。
そんな悪夢の11着惨敗は翌年の有馬記念で1年越しの大河ドラマへと昇華します。
1年のブランクがありながら単勝は4番人気。しかしこれはこの日がラストランと思った記念馬券の割合が強かったのでは?
もちろん私もその1人でした…。
最強馬・ビワハヤヒデを封じ込んで前代未聞驚愕の大復活を果たしたテイオー。
一敗地に塗れたかつてのパートナー・岡部ジョッキーが「他の馬に負けるくらいならテイオーに負けた方がいい」とレース後に言ったとか言わなかったとか。
「地の果てまで…」といい、このスーパーホースは冷静沈着な岡部ジョッキーを名ゼリフ製造機へと変貌させるポテンシャルをも内蔵していました。

オグリキャップで競馬にハマった私にとって、トウカイテイオーは初めて一から追いかけたダービー馬。
あれから20年、テイオーより強い馬は何頭も出現しましたが、テイオーよりもカッコいいスターホースは私の前には現れていません。
何年経とうとリスペクトし続けたい思い入れ段違いの「最強馬」です。