2012/1月の引退表明を受けての特集だったようです。
1941年生まれの71歳。今さら引退する必要もない気はしますが…。
なんといっても昭和52年のオープンタッグ蔵前決戦。
荒馬・テリーファンクの左ストレートは、プロレス史に永遠に刻まれる名シーンです。
倉持アナの「あっフォークだ!」も名言。この系譜は、解説・山田さんの「ハンセンですよ!」に受け継がれます。
外国人同士の因縁アングルや、ガッツ・ど根性というギミックの発掘など、プロレスのターニングポイントになった試合と言えるでしょう。
それにしても、アラビアの怪人・ザシークは今見ても恐ろしい。ブッチャーの凶器攻撃はプロレスの範疇ですが、シークのそれはサイコパスの凶行です。
[ワールドリーグ優勝戦]
昭和46年、まだ「さん」付け不要のジャイアント馬場と一騎打ち。
ただでさえ大きな馬場に、テーブルの上から猛攻を仕掛けられます。
[万博お祭り広場でUS王座戴冠]
白覆面の魔王・デストロイヤー相手にお祭りとは程遠い凄惨マッチ。
実況席の倉持アナ&田鶴浜さんのホラ合戦はお祭り状態でした。
[PWF奪取でテヘペロ]
不透明決着ながら、人間風車・ビルロビンソンからPWF王座を強奪。
解説席の馬場さんは、ロビンソンを差し置いて勝手に挑戦表明をしてしまいます。
[鶴田撃破でチャンピオンカーニバル優勝]
決勝戦だけあって、凶器シューズのジッパーを下ろしての入念な凶器チェックです。
NWA公認レフリー・ジョー樋口。そもそも、シューズ自体を…(以下自粛)
[美獣・レイスと最高峰NWA戦]
異国の地で、しかもヒールとして世界最高峰のベルトに挑むまでに上り詰めました。
後楽園ホールのファンも「ジャパニーズドリーム」としてブッチャーを応援します。
後楽園ホールのファンも「ジャパニーズドリーム」としてブッチャーを応援します。
黒い呪術師・ブッチャー。存在自体がプロレスラーです。
聖書「プロレススーパースター列伝」における『血のしたたるステーキ』『はずかしがる女の子の(途中略)、おもちろ~い』発言も、ブッチャーならほんとに言ってそうな気がします。
私は小学生の頃、なぜかブッチャーと金網デスマッチをしてる悪夢をよく見ました。地元の体育館で追い掛け回された美しい思い出もあります。
初来日の1970年から、絶えることなく40年以上日本マットを震え上がらせてきた大ヒール。
最近は日本に来る都度、 宿命のライバル・馬場さんのお墓を「襲撃」しているとの事。悪いヤツです。
足腰は相当悪いようですが「プロレスラーに引退はない」の言葉どおり、いつまでもプロレスラー・ブッチャーであり続けてほしいと思います。