昭和50年代中盤のアントニオ猪木名勝負選。
放送1本目は、昭和53年5月30日に大阪府立体育会館で行われたMSGシリーズ優勝戦「vsアンドレ・ザ・ジャイアント(withフランクバロア)」です。
リーグ戦無敗のアンドレは勝ち点「37」。続く猪木の勝ち点は「29」。なんともバランスの悪い1位2位による決定戦です。
試合は昭和のお約束「暴走リングアウト」でアンドレが不覚を取り、どうにか猪木が初代MSGチャンピオンとなりました。
実況の舟越アナが「世界のスーパースター」と紹介し、試合後の猪木に「私の負け」と言わしめた(ちなみに聞き手・古舘アナ)大巨人・アンドレザジャイアント。
プロレス業界における「格」および稼ぎからしても、本来は猪木が勝っちゃいけない断トツの大物だったのでしょう。坊主頭の前田日明をギロリと一瞥してリングインするアンドレ。
子供の頃は、いつもイライラしてるデカくて怖い大巨人という印象だったのですが、歳を取ってアーカイブ映像を見るとその印象は一変します。
お客さんを巧みにイジリ、ユーモアを織り交ぜてハードな試合を組み立てる、余裕と貫禄に満ちたまさしく業界のビッグボス。
存在自体がおとぎ話のプロレス史上最強スーパースターです。
今回放送のもう一本は、昭和55年年2月1日・札幌中島体育センターの「猪木&長州vsハンセン&バットニュースアレン」。
決して怒らせちゃいけない恐怖の外国人ブルファイターコンビは、場外ラリアット葬で猪木を撃沈。暴れ足りないのか会場内を練り歩きます。
雪まつりで盛り上がる札幌のファンは、怒らせちゃいけないって言ってるのにハンセン&アレンにちょっかい。
もちろん不沈艦ハンセンは、ブン投げたパイプ椅子を投げ返したジャンパー姿の男に激怒→全力疾走で捕獲→アメフト仕込みのタックルでブチのめすという、戦慄のファンアクセスを披露しました。
ちなみに1本目のアンドレ戦では、昭和ファンの血を沸騰させる「プロレスフォント」も復刻。
この手の再放送ではカットされがちな燃えたぎり系フォントを見ると、懐かしくうれしい気持ちになります。
そういえば主役・猪木の印象がほとんどなかったこの#229。
「オメエはそれでいいや」って訳じゃありませんが、相手を光らせるのも猪木の得意技。我らが燃える闘魂の職人芸といったところでしょうか。