フジテレビ「プロ野球ニュース」アーカイブの最終回。
初回が長嶋茂雄だったので最終回は王貞治というはからいです。
昭和52年9月、福田首相から国民栄誉賞を授与される王さん。
言うまでもなくこの賞は王さんのために新規創設されたもの。後に美空ひばりや黒澤明ら超巨星達が名を連ねますが、すべては王さんから始まった大衆文化の最高権威です。
時の政府に法を一本作らせた偉業はもちろん「756号」。
昭和52年9月3日のこの出来事はもはや日本史の領域。大本営日本テレビではない「プロ野球ニュース」目線の映像はなかなか新鮮です。
756号当時のジャイアンツ監督はもちろんミスター。
「王くんらしいね」「何かね、込み上げてくるものをね」「一瞬ね、試合やってるのを忘れましたですね」と、自分のこと以上に大喜びでした。
756号から3年後、昭和55年10月12日のヤクルト戦。
王さんは“19年連続30本”という、もはや凄いんだかなんだかよく分からなくなってくるメモリアルアーチをライトスタンドへ放り込みます。
しかし試合後の記念インタビューではややお疲れの表情。そして翌月11月4日には現役引退を表明。
30本でも王さん的には全然話にならないという事で、メモリアルアーチは同時にラストアーチ「868号」となってしまいました。
引退挨拶の舞台は11月23日のファン感謝デー。
花束贈呈はビジター服のポーカー大好き柴田さん。ミスターの時とは違って明るい日差しやカクテル光線はない、実に王さんらしい控えめなセレモニーです。
左バッターボックスにバットを、一塁ベースにミットを置いてダイヤモンドに別れを告げた王さん。
これは言うまでもなく前月10.5武道館で引退した百恵ちゃんへのオマージュ。国民栄誉賞の王さんなので“パクリ”と言うのは早計です。
昭和44年8月、ペナント前半戦を終えての心境を語る28歳の王さん。聞き手は直木賞作家・柴田錬三郎です。
見るからに手強い論客って感じの柴錬は、前半戦の打撃不振に「家庭不和でもあるんじゃないか」とゲスの勘ぐり。国民的優等生の王さんはすっかりタジタジです。
なおここで言う打撃不振とは、あくまでシーズン目標のホームラン60本(!!)に届かないペースだったというだけ(オールスター前で18本)。この後2人目のお子さんが産まれた王さんはホームラン44本、打率.345で軽く2冠王に輝いています。
しかし王さんの場合は715だの756だの800だの850だの素材がありすぎて全部やったら番組エンディングの枠には到底収まりません。
そんな中で興味深かったのは昭和53年にブチ上げた「2年連続開幕戦満塁ホームラン」(犠牲者はエモやんとタブチ)。
ここは禁断の満塁敬遠押出しも視野にいれるべきだったのか…。しかしそもそも王さんの前に塁を埋める事自体が自殺行為のようなものです。
実績はもちろん人柄、言動など王さんは全てのジャンルを超越した日本最強ベビーフェイス。
現在はソフトバンクの球団会長ですが、もう一度背番号「1」の威光でいろいろ大変なジャイアンツに力を貸してはいただけないでしょうか…。