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2015/03/24

70's80's JUKEBOXシリーズ 野球選手の歌 #1

録画した日〔2015/3/6:歌謡ポップスチャンネル〕

プロ野球選手がリリースしたクソ曲を延々と流す迷惑な番組。
画面はジャケ写のみで、選手本人が歌っている映像は残念ながらありませんでした。
トップバッターは我らが王さんの「白いボール」(1965年初回リリース。1977年“ホームラン世界新記録達成記念盤”として再リリース)。
「ボール」「バット」「グローブ」と誠実に野球用語を連呼するのがビッグワンの歌唱スタイル。
惚れた腫れたなどには目もくれない、国民的ヒーローとしての気高さを再認識させる不朽の名曲です。
ちなみに盟友・ミスター長嶋さんは1993年リリース「果てしない夢を」で番外参戦(この番組は70、80年代がテーマのため)。
カン高いミスター節を炸裂させたご本人は何とも思っていないでしょうが、共演したビーイング系の面々にとっては果てしない黒歴史となっています。

「燃えよドラゴンズ!」(1974年10月)
元ドラゴンズ・板東英二
良くも悪くもマルチなセカンドキャリアを積み重ねる板東英二。
引退5年後にリリースしたこの曲は巨人のV10阻止という追い風に乗って40万枚のスマッシュヒットを達成。以降40年に渡ってドラゴンズファンに歌い継がれるスタンダードナンバーとなりました。

「俺の詩(うた)」(1980年1月)
カープ・江夏豊
「江夏の21球」で生ける伝説となった1979年シーズン直後にリリースされた曲。
作曲は後の国民栄誉賞・吉田正。不器用、無骨といった系のフレーズが全部当てはまる、野武士ムード満点の侠気ラブソングです。

「亜紀子」(1979年11月)
「まわり道」(1980年3月)
タイガース・小林繁
対巨人8戦無敗のシーズン22勝で「江川事件」に激烈な倍返しをカチ食らわせた1979年の小林繁。
オフの歌手デビューでは秘めたるエンタメ能力も完全覚醒。スマートなルックスから繰り出される甘い歌声に本物の薫りが漂いまくります。

「鷹の爪」(1986年5月)
ホークス・香川伸行ほか4人
ドカベン生みの親・水島新司氏がプロデュースした5人組ユニットの南海セルフ応援歌(ドカベン香川の他は加藤伸、吉田博、畠山、湯上谷)。
ちなみにこのシーズンの成績は定位置のビリ6位でした。

「恋する御堂筋」(1979年2月)
タイガース・江本孟紀
引退後、ベストセラー作家やキャスターを経てスポーツ平和党構成員、参議院議員にまで上り詰めたエモやん。
もちろん現役時代から多芸多才で歌なんかはお手のもの。入江マチ子さん(キャリア等詳細不明)といかがわしさ満点のムード歌謡を披露します。

「十和田丸」(1984年12月)
ジャイアンツ・中畑清
プロデューサー吉幾三が当初キヨシに提示したのはこの曲とあの名曲「雪國」。
キヨシにとっては痛恨の選択ミスですが、逆に言えばこれがなければ「吉幾三の雪國」は世に出なかったという事。
実に味わい深い芸能ファンタジーではないでしょうか。

「チャンピオン・アニマル」(1986年7月)
ブレーブス・アニマルレスリー
大ブレイクしたシーズン中にリリースされたこの曲は、いかにも“80年代の洋楽”という感じの軽快なロックナンバー。
言われなきゃ野球選手の歌とは思わない程のハイクオリティです。

「主人公」(1983年12月)
ドラゴンズ・田尾安志
趣味がギターという芸達者な安打製造機。デビュー曲は友人でもあるさだまさしのカバーでした。
イメージどおりの穏やかでやさしい歌声は、さだまさしというよりさとう宗幸っぽい感じでしょうか。

今や絶滅してしまった野球と歌の二刀流。
さびしい事ではありますが今回のような赤面ディスコグラフィを見ると、今どきのヤング選手が踏み込んでこないのは当然でしょう。
とりあえず「#2」も録画したので古き良き(悪しき?)時代を懐かしみたいと思います。