昭和50~62年までのvsカープ9試合。
62年10月18日に行われたデーゲームは、後楽園球場における最後のセリーグ公式戦となりました。
巨大ゼネコン・竹中工務店のドヤ顔が目に浮かぶようなゴンドラ席越しの「BigEgg」。
当時は夢いっぱいのドーム球場でしたが、25年経ってみると屋根がなくて明るい「後楽園」の方がいいような…。
まあこれは昭和のオッサンの思い出補正でしょう。
このラストゲームの4回裏には、吉村がカウント「2ストライク4ボール」からホームランを打つという前代未聞の珍プレーが勃発しました。
いい天気でのどかな秋の消化試合だったもんだから後楽園の全員が共犯者。
後の10.19やら10.8やらでは起こり得ない何とも呑気な大ポカです。
イニングの合間には、国民栄誉賞に輝いたカープ衣笠選手への花束贈呈セレモニーも実施されています。
国民栄誉賞の元祖・王さんはベンチから拍手。
プレゼンターにならなかったのはビッグワン流の気配りだったのでしょう。
ちなみにこの年の王さんは監督就任4年目にして悲願のリーグ優勝を達成しています。
20年ぐらい通い続け400本ぐらいホームランをかっ飛ばした後楽園球場。
そのラストゲームで胴上げ&場内一周withチャンピオンフラッグという、王さんはもちろんファンにとっても文句なしのハッピーエンドとなりました。
【赤ヘル軍団初優勝】
昭和50年から赤ヘルギミックとなったカープ。その年の10月15日、敵地後楽園で初のセリーグ優勝を勝ち取りました。この後黄金時代を築く古葉監督はシーズン途中からの代役登用だったとの事。世の中何が当たるか分かりません。
【2試合連続サヨナラ】
昭和53年7月17日のナイターでは、9回裏1-3の劣勢から河埜、柴田の2発で2日連続サヨナラ勝ちを収めました。これで首位に立った90番・ミスター。2日続きの大はしゃぎは自重したのか、ちょっと遠巻きに歓喜の輪に加わります。
【江川プロ入り初勝利】
稀代のヒール・江川の初勝利は昭和54年6月17日。初回にシピンの3ランの援護をもらって7回1/3を熱投。鼻血ブーして降板という人間臭いオチを付け、怪物が本格稼働を開始しました。
【宿命のライバル】
王選手ラストイヤーの昭和55年。カープで抑え投手として覚醒した最強ライバル江夏との対決は、今までのように「力と力」とはいかないようでした。
とはいえ、王選手はこの年もホームラン30本打ってます…。
【カープキラー】
敵将・古葉監督をして「うちが定岡の給料を払っているようなもんだ」と言わしめたらしい超カープキラーのイケメン定岡。日本一になった昭和56年の6月28日、女房役・山倉の満塁弾援護もあって爽やかにキラーぶりを発揮しました。
【33年ぶり記録更新】
俊足が売りの「青いイナズマ」松本匡史は、昭和58年10月3日の浜松巡業で33年ぶりのセリーグ記録“75盗塁”を達成します。後にオマージュを捧げるSMAPの面々も昭和の茶の間でこの快挙に喝采を贈っていた事でしょう。
【ミスター赤ヘル2000本安打】
昭和59年の5月5日、縁起のいい鯉のぼりの日に2000本安打を達成した山本浩二。史上19人目の快挙に一役買った槙原は「格が違った」と脱帽。と言いつつ、きっちり完封で鯉軍団をねじ伏せています。
【桑田無双】
昭和62年7月8日の札幌円山球場は、デビュー2年目の背番号18・桑田真澄の一人舞台。プロ初完封にとどまらず、北別府からバックスクリーンへ3ランをブチ込むなどチーム全得点の4打点を叩き出す凄玉っぷりを見せ付けました。
山本浩二&衣笠の最強ツートップと北別府ら充実の投手陣、そしていかにも頭が良さそうな古葉監督。
私が子供の頃は、カープはなんだか大人のムードの常勝軍団というイメージでした。
ここ数年、というかここ十数年低迷してるようですが今年は調子が良さそう。久々の赤ヘル旋風を見てみたいものです。